毎年年末はやってくるけど、それなりにタノシミである。孫たちもまたやってくる。お正月に。お年玉を用意しておこう(^_^)。
孫がいったん帰った。年末はアパートで過ごす。正月になったら、またボキンチに来る。
タノシミである。
要するにそれだけの話である。
でもそれだけの話ではあるけれど、そういう日常を過ごせることがありがたい。
ただのジジイであるからだ。
孫もまたボキの人間力を試してくれているような気がする。つまり、デタラメな人格ではそれこそ孫に示しがつかないからだ。
孫に真似されたら困るではないか。
いかな悪業三昧のアホジジイであっても、困るものは困る。
わはははっははははっははは。
年末は無為で過ごす。毎年恒例である。大掃除も計画的にやってしまったし。やることがないから、数学の問題を解いたりしている。他に、伊集院静の小説を読んだりしている。情報カードでメモをつけるのを復活した。だから、楽しくなってきた。
旅に出る計画はある。それが趣味のようになってきた。これまでは、ただ単にツアーの行程どおりに行っていただけであった。しかし、「見ることは言葉につながる」と思い始めてからは変わった。
絵画でも、風景でも、外国の花でも・・・見てからそれを言葉にできなくては、話にならない。
来年は、旅に出て言葉につなげることを目標にするつもりである。まだ生きているだろうから。もっとも明後日には年が明ける。新年になる。
旅に出たら、表現に結びつけたい。もっともこっちは文才がない。風景描写もできない。なかなか難しい。
でも、書くことや打鍵することはできる。ブログもそのためにやっているようなものである。惚け防止のためである。
旅はヨーロッパがいい。惚れ込んでいる。ただし、遠い。それにこっちはエコノミークラス症候群を患っている。だから、飛行機が困る。ちょっとカネがかかる席でないと行けない。
足に不安があるからだ。
そうなら中国がいい。近い。まだ行っていない場所がいくらでもある。動けなくなったら中国にしようと家人と話している。
ともかく非日常性を旅は実現してくれる。
そして、非日常性というと年末や正月である。特別なのである。特別な行事がある。
初詣もそうだし、テレビ番組もいつもの番組ではない。特別な番組がいくらでもある。めぼしい番組は録画して楽しむ。能番組も毎年恒例でやってくれる。NHKだ。これがタノシミである。これがあったから、能の論文でも書いてみたいと思ったのだ。それが人生の方向転換になった。挫折したけど。
生涯学習ごっこに、はまってしまった。
人間ドックの結果が良かったから、ますますウオーキングに精進しよう。さらに、生涯学習ごっこにも邁進しよう。来年もである。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ