長生きしたいから生涯学習ごっこにはまっているのかも知れないけれども・・・
ほんのちょっとの日本酒と、ほんのちょっとの中国料理で腹一杯になってしまった。昨日のことである。中国語講座受講生で、要するに忘年会をやった。中華料理店である。中国語で今年はお世話になりましたと言ってである。ボキはできなかったけど(^_^)。
要するにフレーズが出てこないってぇのは、実力がないからである。
もともと能力がないからである。これは仕方なし。でも、能力はなくても受講生たちとの交流があるから楽しい。それに尽きる。
行きも帰りも歩いて行った。おかげで、昨日は17キロ歩いた。美味いものを喰ったから体重が増えるだろうと予想していたが、毎朝やっている体重測定ではそんなでもなかった。安心した。
今日も歩こう。歩くのが一番である。健康になる。昨日の宴会でも「そんなに歩くのか?」「歩くのが仕事になっているのではないのか」と言われた。言われて当然。他に仕事もないしねぇ。
なぜなら、長生きしたいからである。
わははっはははっはははっはははっははははっはあはは。
そうである。長生きしなけりゃ、なんのために楽しい老後を送っているのかわからんではないか。長生きしないで、辛いジジイ生活を送っていたらアホである。成果をあげたい、博士になりたいとあがいてその結果早死にしたら目も当てられない。
生きていなけりゃ、なんのやりがいもない。
そこにこそ、ボキの生涯学習ごっこの存在理由がある。
で、今、迷っていることがある。それは、また老人大学に再入学しようかと思っているからである。またである。また通学しようかと思ったのである。なぜなら、中国語講座の仲間たちで在学中の方がおられるからだ。ただし、人間関係がこういうところでも複雑である。いろいろあるのだ。ま、これについては書かないけど。
それしにても中国語講座の仲間たちは、みんな元気である。元気を通り越している。病気とかにまったく無縁の表情をしている。これがいい。これがあるから、生涯学習ごっこはお勧めなのである。
やることがあるってぇいうことである。なんにもやることがなくて、朝から居眠りばかりしていたらそりゃ老いる。オイルショックである。
ふんだんに潤滑していなくちゃアカン。凝り固まって、堅くなってしまってはアカン。関節も柔軟でなくちゃアカン。
身体も思考も柔軟でありたい。
それが長生きのコツなんではなかろうかと思うからである。
これがどっちかに偏ったら、故障が起こる。身体ばかりではいけない。思考だけでもいけない。バランスである。ほどよく調和されていればいいのである。
意識してそういうことをやればいいのだ。
落語を聞きながら、いつもそう思っているのだ。なにしろ、ウオーキングの友は落語だからである。
ヾ(*´∀`*)ノ