オノレはオノレ・アンタはアンタである。この言葉は非常に気に入っている。
楽天的に生きるというのは、なかなか難しいことである。いつも楽しく生きることは重要であるが、のべつまくなしに楽しい・楽しいでは不審者になってしまうのかもしれない。あまりにも楽しくて、道ばたをヘラヘラ笑って歩いていたら、避けられてしまうであろうから。
他人から見たらである。
しかし、そんなこたぁ構わないではないか。他人にどう見られようと関係ないではないか。
オノレは、オノレ。
アンタは、アンタである。
要するに人間相手にすべての物事を判断していたら、アホになる。
比較をしないことである。
ボキのように貧乏だったら、それなりに満足して生きていればけっこう気にならないのである。
要するに価値判断の基準が人間世界にあったら、迷いの因となると思うのだがいかがか。
高級車に乗っているからと言って、必ずしもシアワセなのではないだろうに。
だからと言って他人をバカにするこたぁねぇのである。そんなもん、つまりモノが最初にあってすべての価値基準になっているようではねぇ~~~~と慨嘆しているのじゃよん。
どんなに社会的地位が高かろうと、そんなもんなんの価値があろうか。しかもである。他人をバカにしているようでは、話にならないではないか。
逆に、今の生活が苦しかろうと気にすることもない。他人をうらやむ必要もない。
オノレは、オノレである。他人は他人である。
だから、ボキは現役時代の後輩たちが今何をしているのかというようなことにも全く関心がない。
ここまで書いて来て、はたと思った。
それは、他人は他人というと、ボキの住んでいる九十九里浜には他人だらけである。いわゆる親戚がいない。二等親関係ならいる。ボキの子供たちと孫である。
しかし、ボキの親の世代から派生してきた親戚がいないのである。
住んでいないのである。
だから、天涯孤独である。身にしみている。
所詮流れ者であるからだ。
仕事がなかったから、流されてきたのである。やっと働き口を見つけて住み着いただけである。
九十九里浜に関しては非常に気に入っているけど。暖かいし、涼しい。ただし、津浪だけは怖い。
太平洋の向こうはハワイしかない。これがちょっとしょうがない。ハワイにバスで行くわけにはいかないからである。
ま、それも運命である。
こういう土地に住み着いて仕事をして、リタイアした。感謝するしかない。
後は、死ぬまでの間をボランティアでもして生きていこうと思っているだけである。
なんの企みもないし、成果もなかったから。
わははっははははっはははっははははっははははは。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ