あああああ待ち遠しいですなぁ。孫たちと会うのが。彼らの母親であるボキの娘よりも。
これから孫たちが遊びに来る。一週間くらいいるらしい。娘がラクをしたいからであろう(^_^)。まさか鍋や釜まで持っていかれることもないだろうが。ま、その時はその時。コメは持っていってもらう。あらかじめ用意してある。
しかし、孫たちは狭いアパート暮らしだから、ボキンチに来たら家中をかけずり回る。走ってである。別に豪邸に住んでいるわけではないが、走るくらいのスペースはある。庭も30坪ほどしかないけど、砂遊びくらいはできるようになっている。田舎暮らしだからできる話ではある。
こういう遊びは、ボキもそうであった大事な経験である。父方の祖母の家も、母方の祖父の家もデカかった。何部屋もあって、とにかく広かった。いとこ達も多かったから、暮れや正月になると遊んでばかりいた。これが現在のいとこ会(父方の血統)につながっているのだ。総勢40名近くいる。配偶者共々であるけれどもねぇ。
思い出というのは、こういうきっかけがないと残らない。
そうなのである。ボキの思い出はこうした田舎暮らしにある。原点である。
だから、ボキの孫たちにはそういう思い出を残してあげたいと思っているのである。
こちらは、孫がジーサンやバーサンになるまでは生きていられない。妖怪のようにいつまでも生きていられたら迷惑であろうからなぁ。死ぬまでは元気で生きていたいが。
孫が来たら、千葉市動物公園に連れていく予定である。まだ5歳と3歳の男児である。内孫の女児は、3ヶ月であるからどこにも行けない。
成田空港から離発着している飛行機も見に行く予定である。そうなのである。九十九里浜から成田空港は近いのである。そして、飛行機を見ることのできる場所がいくらでもある。無料である。ありがたいものである。
男児の孫たちは大喜びをする。普段、飛行機を近くで見ることもできない県に住んでいるからである。
絵本では見ることもあるが、なかなかホンモノは見ることもできない。それが楽しいのであろう。
ボキも楽しい(^_^)。
もう少し小さい頃は、ジジイのボキが抱っこして見せていた。今じゃぁ、抱っこを嫌がる。当たり前である。痩せたジジイに抱っこされていたんじゃ不安になる。いつひっくり返るかわからないジジイじゃねぇ。
これもまた成長の証である。
ドンドンデカくなれ!
ドンドン・ドンドン勉強して、優しい子供になれ!
そう祈っているだけである。
そして、「励めよ、なお励めよ」ということを言い続けたい。
大人になったからと言って、完成することはないからである。まったく完成なんてほど遠い。ジジイのボキがそう思うのだから。完成を目指しても到達点はない。あるわけない。
だからいつまでもチャレンジなのである。
チャレンジ、チャレンジである。失敗を予想しないで、あくまでもチャレンジしていくことが、男子の本懐である。
自分に言っているんだよん。
わはははっはははっっはははははっははは。
早く来ないかなぁ~~~。孫たちが。
(@^^)/~~~