路傍に咲く一輪の花のようでありたい。K氏と久しぶりに会って、謙虚なお人柄とおもちゃの修理工場ボランティアという姿勢にぞっこんになってきた。
Gymに行ったら、老人大学で一緒だったK氏がいた。講習会を受けていた。ボキの通っているGymは講習会を受けないとやらせてくれないシステムになっている。だからである。
「とうとう決意したんですね」と聞いてみた。そして、二人で大笑いをしていた。いつも老人大学では一緒に机を並べていたから、なんとなく気があったのである。
彼も、リタイア組である。ボキより一歳上である。町内会長をやったり、悠々自適である。特筆すべきは、おもちゃ工場というボランティアグループを立ち上げて、幼児たちが持って居るおもちゃを修理しているのである。市の広報にも出てきたから、有名である。そのグループは。なにしろ保護者に喜ばれている。孫を持つ老人大学の爺婆たちも、大喜びして修理の依頼をしていたくらいである。
老人大学在学中は、仕事の話なんか一切しなかった。彼もボキもである。ただし、話の端々に理系の大学を出たらしいというのはわかった。だから、おもちゃの修理工場というボランティアができるのである。
素敵な御仁である。人格ができている。
さらにある。
定年退職記念に大型自動二輪の免許をとって、650ccのカワサキを買ったのである。それに乗って老人大学に通学してきていた。夏だけ。冬は寒くて無理じゃと言っていた。ボキも、バイクは好きであった。東北ツーリングなんか何回も行っていた。だから話があったのである。
まったくいい年の取り方をしている御仁である。
しかし、反面教師というのがいる。
爺婆になって、小言ばかり言ってエラそうにしているヤカラである。こういうのは、やたら自分のことを自慢する。聞いてられない。みっともなくて。
血筋とか、高学歴だとか、収入とか、親戚にこんなのがいるとか、中学の同級生にこんなエライのがいるとか、現役時代の仕事とか・・・・アホカイナ。
そこで、あっと気がついてしまった。この間行った学会でも自分自慢の学者センセがたくさんいたからである。それを思い出した。女性学者が多い。自慢したがりの傾向は。ま、これはこれでしょうがないのであろう。そういう世界で戦ってきたんだろうから。
まるでエンデの世界に出てきそうな学者センセみたいで、密かに笑っていたよん。ファンタジーエンという謎の世界について、生涯研究をしていて、それを論文にまとめて出版するのが人生最大の夢であるというエンデの作品に出てくる学者センセである。
人格高邁とはとても言えないセンセである。戦ってきたのだろうから、一生そのまんま戦っていくんでしょうなぁ。
そんなことを考えてしまった。
人生は、オノレの爲だけに生きるのはないということをである。
K氏と出会って良かった。彼のようにおもちゃ工場をボランティアでやることは、実に素敵なことである。機械類にまったく弱いボキにはできない相談であるが。
K氏には、オレはこんなことをやっている、どうだ?凄いだろう?というような姿勢がない。自慢したがり症候群にも陥っていない。
そっと隅っこに咲いている一輪の花のようである。
こういうのが、素敵というのである。
今日は、これから古文書講座である。夜は中国語講座がある。教わってくる。
ありがたいものである。
ご縁に感謝。
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