と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

千葉科学大学学生の見学実習でした(写真有)

2008年09月16日 19時36分40秒 | 先公ごっこ2008年から2012年








 千葉科学大学の教職希望の学生に授業を公開しました。3限から6限までの4時間です。理科系の大学ですので、理科・情報を中心に行いました。他にも、国語その他の科目も。7名の学生が参加しての見学実習も兼ねて、です。

 熱心にメモをとっての姿に、若い力の息吹を感じました。これからの教育界を支えていって欲しいと思うばかりです。黙っていても、いつかは去る身。それまでは一生懸命県銚の教育の充実を図ってまいりますが、頼もしい力もまた必要です。

 最初に下記のような資料を渡して、激励させていただきました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

                        2008年9月16日 9:30

        千葉科学大学学生さんへ



主体性のない教育技術は瑣末主義となる。

教育技術のない主体性がある。度し難い思い上がりと、大混乱の教育がある。

主体性も、教育技術もない教育がある。子どもたちは荒れ狂う状態になる。




主体性の確立は、教育観を確立することにある。
ルソーの「エミール」には、
 1 事物からの教育
 2 人間からの教育
 3 自然からの教育
とある。教育を語るなら、読むべし。教育観を確立して初めて批判がある。




すぐれた教育的行為は、すぐれた教育観をもとにしている。
すぐれた教育観をもとにして、かつすぐれた教育技術によって表現された教育的行為こそすぐれた教育である。




授業にベストのものはない。
授業技術にベストのものもない。
授業に頂点はない。
絶え間ない向上のための道程しかない。




子どもを動かす原則
 1 やることを示せ
 2 やり方を決めろ
 3 最後までやり通せ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 これはわたくしの読書メモにあった、向山洋一先生の著作からのものです。ルソーについては、わたくしのオリジナル。

 他に道徳教育の勉強の時にエミールが大変に役に立ったということを、実体験をもとに述べさせていただきました。若いころ、いわゆる公開模擬授業を、まるで他流試合のようによその学校でやっていたものですから、その体験を話させていただきました。

 しかし、あれは面白かった。まるっきり知らない中学校で、一時間、見学者の大勢いる中で、オリジナルの指導案と自作資料を用いて実際に授業をやるのですから。そのストレスたるや、なまなかのものではなかったです。その代わり、生徒の実態把握に相当のエネルギーを使いましたが。二校ニ学級。時期をずらして実践させていただきました。貴重な体験です。

 そんな話を、あとから続いてくださるであろう若い方々に、訴えました。いい先生になっていただきたい、それこそがわが日本を押し上げる力となります。

 なんだか、若い人に熱弁を振るいすぎて、いつもよりも力が入って血圧が上がったのではないかと思ったしだいです。

 どうですか、中学生のみなさん。県銚は楽しいことばかりやっているでしょう?

 


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感謝しながら

2008年09月15日 07時38分52秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 保護者の方から受ける愛情というのは、物心両面にわたっているだけにまことにありがたいと思わなくてはなりません。

 昨日、旧友とちょっと話をしたのですが、私立歯科大学に行っておられるご子息のことでありました。感動しました。大変だなぁという思いと、それだけの愛情に対して。一生懸命勉強しているわが子への応援であります。純粋な無私の情熱があるからできるのです。

 大学に行きたいといって、右から左へとホイホイとお金を出せるご家庭ばかりとは限りません。わたくしもそうでした。とどのつまりは一銭もないから、自分で進学するしかなかったのです。しかも勉強してもなにもならないと言われた分野で(いわゆる就職できない)、特殊なことに興味があって、特に村役場の吏員であった父親は強力に反対したものでした。また、師範を出て教員をやっていた母親も。

 そりゃそうでしょう。18歳くらいで隠者になりたいとか言っていたのですから。そのままソロー先生のように森の中にでも隠れてしまえばよかったのにと、友人たちにもからかわれたものでした(^0^)/ 

 進学したければ、能力があれば、いろいろな方法・手段・機会があります。

 そういう場合には是非とも県銚の先生方に相談してくださいね。なんでもご存じですよ、県銚の先生方は。ひとりで悩んでいないで、本当に相談してください。悩んでいたら可哀想です。進学だけでなく、就職もそうです。生き方に関わることです。一生の問題です。真剣に対応させていただきますから。わたくしでよければ、ちょっと取っつきにくいでしょうけれども、声をかけてください。相談に乗りましょう。

 学校というのは、そうやって活用するものです。勉強するために来ているのですから。あるいは生き方を学習するために。

 もっとも、今、それを確定することもありません。ゆっくりでもいいのです。ただし、ひとつの危惧があります。あまり人生の根本問題に関わってしまうと、教養教育とか、受験勉強に身が入らなくなります。それは避けていただきたい。早熟の才能に溺れて、人生を誤ってはいけませんよ。俺は、私は、もしかしたらとんでもない才能の持ち主かも知れないと思ってはなりません。コツコツと基本を学習していっていただいきたいのです。一足飛びに世界史に名前が出るような才能は、めったにあるものではないのですから。基礎基本をしっかり学習していただきたいと思っています。そういう機会を与えてくださった保護者の方々に、こころからの感謝をしながらです。

 また明日。


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森の生活

2008年09月14日 08時43分17秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 H.D.ソローの「森の生活」があります。岩波文庫から出ています。昨日、これとエミールを読んでいて、思わず時のたつのを忘れて、昼食も遅くなりました。お昼は外でとりましたが、これではまるで奇人変人のようだと苦笑しました。

 配偶者が勤務先の運動会ということで、誰も家にはおらず、十分に読書ができたというわけです。そのほか、10冊くらいリビングのテーブルに並べて悦に入っていました。庭では携帯CMで有名になった北海道犬とそっくりな白い体に赤い首輪の愛犬が、寝そべっています。オヤジがふたりいるようなものです。ちらちらとお互いに視線を送りながら、読書に没頭するのもまたいいものです。

 ソローのことはよく分からないのですが、「森の生活」の「読書」のところはいい。実にいい。森の中に手作りの自宅を建てて、自給自足の生活をしたというくらいしかソローについては知りません。そして、どうしてもそういう隠者的生活をした人に興味を持ってしまうのがわたくしの若いときからの傾向性です。しかし、今回ソローは「私は隠者ではない」と言っておられた。すてきな湖のほとりで、小さな家で思索にふけったという人ですが、実はガンジーやキング牧師にも影響を与えていたのです。アウトドア派の人が好む人ですから、それなりのと思っていたら大間違いでした。読書のところで。なんと言っても、軽薄な旅行記なんぞ読んでいるより、古典を読み給えというアドバイスが堪える。しかもギリシャ語で。????ギリシャ語????。参りました。完敗です。やったことありません。

 あっと思いました。読みが足りないということです。勉強不足です。

 良寛にしろ、ペスタロッチにしろ、どうしても隠者的な生活をした偉人に憧憬してしまいますので。基本に、自己否定がありますから。このブログを読んでいただいて、そのあたりのわたくしの傾向性を察知された方もおられるようです。そうです、わたくしも自己否定から出発します。全ての事象をとらえるのに。

 どうしても人間は他者否定から始まります。つまり傲慢。それが老害にも結びつく。いろいろな社会的なつながりの中で、わたくしの最も嫌悪する部分です。

 過去の栄誉、実績を鼻にかけて、今はなんの実力もないのに、他者否定を繰り返しているのは、愚の骨頂。ルソーの言うところの、事物からの教育でしかない。

 学歴もそう。鼻にかけちゃいけない。勉強しない、非常に狭い、事物からの教育一辺倒しか考えない人間の考えることでしかない。学歴社会に生きている人間は注意すべきです。黎明高校の民間人校長であられた先生が特にそのことを言っておられて、学歴社会に生きている人間ほど勉強しないと喝破されていた。勉強しないから他人の学歴が気になって、それで人を評価すると。

 わたくしはまったく現場のたたき上げで、傲慢不遜とか勉強しないとかそんな心配もないのではありますが。否、大ボラ吹けるほどの学歴がないからこそ一生勉強です(^0^)/

 柔道もそう。実力もないのに、しかもオリンピックにも出たこともないのに、わたくしは柔道のプロを自称することはできない。柔道くらい体力のへたりを如実に示す武道もない。自称専門家ヅラをすることはありますが。それは虚像ですけれども。したがって、今でも修行中。二段・三段のつもりで、寝技の開発に大いに夢中になって笑われているのですけれども。

 ルソーは、教育は人間の作り出した事物(システムと言い換えてもいい)からなるばかりではなく、自然からも学ぶし、人間そのものから学ぶことがあると言っているのです。考えなくちゃいけません。わたくし自身もそうですが。

 夜になって、読書にも飽いたので、大急ぎでもう一人のオヤジ犬と散歩をして、日課のスポーツジムに行き、それから柔道着を持って柔道教室へ。

 所詮素人。老害の垂れ流し。木更津総合で県チャンプになった今はわが教室の指導者になっていただいている関羽のような豪傑に、「先生、あまり熱入れてやると怪我しますぞぉ」と言われながらも、懲りずに老害を垂れ流してまいりました。週に一度の大汗流しの健康タイム。

 ソロー先生が見たらお笑いになるのでしょうか。


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情報収集と忘却、そしてくちなしの花

2008年09月12日 19時56分48秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日も授業を拝見させていただきました。実に勉強になります。

 昨日は保健の授業。今日は国語で竹取物語でした。夏休みに小学生の日本語暗唱教室で(BeCom様の主催)小さい子への指導も拝見していたので、わたくしなりに比較しながらでした。

 高校ですから、文法的なことも出てきますし、プリントも高度になる。わたくしが感心したのは、先生の説明と、プリント、自分のノートを上手に使い分けて情報収集をまさにしているという生徒たちの学習スタイルでした。保健の授業もそうでした。学習ノートを実にうまく使っている。筆記用具も実に考えて使っていました。いろいろな知識を総合化していくのが、一番いいのだと思います。もっとも、これはわたくしの同級生からの受け売りですが。大学の教授をやっていますので、情報収集は流石であります。

 自分なりに、どういう学習スタイルで情報収集と整理をしているか?ということが生涯の学習スタイルを決めると思います。学校が終わってからも、勉強は一生続くのですよ。逃れられませんよ。

 たとえば、ノート。
 あとで見直したときに、すぐわかるようにしたいものです。なんでもかんでも雑記帳のように書きなぐっていると、なにがなんだかわからなくなります。それで頭に入る人もおるのでしょうけど。それならそれで結構ですが。

 ただし、整理魔になって、情報収集のみが目的になっては困りものです。



 昼食を食べながら、佐高 信という評論家の読書ノートをひっくり返していました。「男のうた」という本からの抜書きの箇所にふと目がとまりました。(教育的には食べながら何かしてはいかんのですけど)
 宅島徳光の書き込みがありました。すっかり忘れていました。メモをとったことすら。

 海軍中尉。1921年03月~1945年04月09日。福岡市博多区生まれ。

「いまでは指輪も まわるほどやせてやつれた おまえのうわさ くちなしの花の 花のかおりが旅路のはてまで ついてくる くちなしの白い花」

 昭和20年04月09日に遭難した海軍中尉の宅島徳光が大学ノートに書きつづった恋人への切ない想いが「くちなしの花」。彼はこの花が好きだっただけでなく、戦争末期、口には出して言えない心の記憶としたかった。戦没学生の遺稿集「きけわだつみのこえ」にも収録され、今では英語、中国語、韓国語の翻訳本もできた。その大学ノートに書いてあったのが下記の詩。

  俺の言葉に泣いた奴が一人
  俺を恨んでいる奴が一人
  それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
  俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
  みんな併せてたった一人


 こんな抜書きを見つけたのです。変色したインクの中にうずもれていました。いいなぁと思いつつ。字が乱暴なのには呆れましたが。

 久しぶりに読書ノートを読み返してみました。いいものです。現在進行形でそれは進められていきます。しかし、年齢とともに忘れ去られていくのが、情報の運命かもしれません。しかし、こうやって形に残しておけば、後で見つけたときはなかなかうれしいものです。

 見つけやすいように、索引をつけたりしていこうと思っています。

 さ、今日も時間いっぱいになりました。

 おしまいにします。


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エミール

2008年09月11日 19時16分28秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨日の記事で、カントの話を書きました。

 ルソーのエミールを読んでいて定刻の散歩をサボってしまって、近所の人たちが大騒ぎになったということを。独身であったカント先生のことですから、そして大学者でありましたから、近所の方々からきっと尊敬と憧憬を受けていただろうし、心配もされていたのに違いありません。

 で、思い出したのは、ルソーのエミール。文庫ですが(いつも文庫ですね)校長室の書庫に入れてあるのです。時々、思い出してはぱらぱらとめくります。懐かしい。自分の精神史の記念塔みたいなものです。

 書籍の話を年中させていただくのは、このブログがまさに生徒相手のブログだからです。大人の方は想定しておりません。したがって、恥を承知で、今現在のわたくしの乏しい読書暦から思い出すまま、ここにアップさせていただいています。1万回書いて、その中の1回くらい読んでみようかと思う生徒が現れるだけでも効果があったと思っています。

 数値的な効果ということは考えておりません。やっても無駄だろうと言う人が世の中にはたくさんおいでになる。効率的でないと言い方で。

 ルソーは人間の善性を待つということを何度も言っております。そういう待ちの姿勢もすぐれた方法です。

 また、人間は立派なものとして生まれるが、社会が彼を堕落させるということから出発し、彼の独特の哲学・道徳・教育を盛り込んでいます。文庫で3冊しかありません。が、かつて道徳教育の研究で一心不乱に勉強していたときに、かなり影響をされました。教育者を標榜するなら、また教育について一家言あるのならば、一度は読みたい必読書です。

 昨日の記事に影響されて(と言っても自分で書いたのですけれども)再度、読み直そうと思います。いや、実はもうカードを取り始めています。図書館カードと同じサイズです。読みながら。

 ルソーの言うように、教育、とりわけ自己教育というのはそんなちょっとしたきっかけで始まるのかもしれませんから。

 しかし、ルソーはいい。本当にいい。今の若いママたちからは総スカンを食らうかもしれないけれど。一編だけでもいいから、特に3年生に読んでいただきたいと思います。母親のなんたるかが書いてありますから。

 時間になりました。また明日。

 

 

 
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体調維持

2008年09月10日 19時18分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は英語と地歴公民を見てきました。授業観察です。

 よく勉強しているなぁと思います。そして、専門外の授業から得るものは大変に大きい。思い出すこともあり、知らなかったこともありという次第です。県銚の先生方に感謝しています。生徒ともども。

 9月に入り、そろそろ空調も切り替わりの時期。使ったり、使わなかったりしています。しかも、季節の変わり目になってきました。そうすると夏バテがやってくる生徒もいるのかもしれません。健康に注意しましょう。中学生の皆さんも。健康あっての学校生活です。注意するにこしたことはありません。

 体調維持には運動が一番いい。それに食事。不規則が一番良くない。カントという哲学者は散歩を欠かさなかったそうですが、時間がまったく正確でした。カントの住んでいる村の人々は時計を訂正するのにカント先生が来たときに、直していたということです。自己に厳しかった人なのでしょう。生活習慣の大切さを感じます。ただし、一分一秒たりといえども間違いを許さないというのでは、これはやや問題ありですが。

 食べ物については、専門の先生もおられるので、門外漢としてはふれてはならないのかもしれません。しかし、大変に重要です。何を食べ、どういうふうにすると体にいいのか、特に脳にいい食べ物は何かということは、もっと追求されていいことだと思っています。所詮素人ですから、ここでは取り上げませんが、再度繰り返します。重要です。

 生活習慣こそ、ただすべきですよ。

 でたらめな生活を送っていると、今に、とんでもないことになりますよ。そんな生徒はいないと思いつつ、あえて書かせていただきました。 



※カントは規則正しい生活習慣で知られた。早朝に起床し、少し研究した後、午前中は講義など大学の公務を行った。帰宅して、決まった道筋を決まった時間に散歩した。あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したと言われる。これは、カントの性格の一部でもあったようで、素行の悪さの故に従僕ランペを解雇したあと、新しい従僕になじめず、メモに「ランペは忘れ去られるべきである」と書き付けた。
ある日いつもの時間にカント先生が散歩に出てこないので、周囲の人々はなにかあったのかと騒ぎになった。実はその日、カントはジャン=ジャック・ルソーの「エミール」を読みふけってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったのであった。
(ウキペディアより引用)

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意欲と転落の門

2008年09月09日 19時10分57秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
2008,09,09 Tue 11:19

 上記の数字はつくばみらい市福岡小学校のホームページ更新時間です。たいしたものです。運動会の練習でお忙しいだろうに、本当に毎日更新されている。かなわないです。しかも、広告塔とかについては小学校ですから、関係がない。純粋な情報発信なのだろうと思っています。モチベーションが相当高いのに違いありません。意欲ある組織にはかなわないです。

 さきほども日課にしている授業観察に行きました。今日は地歴公民でした。静かな時間が流れていきます。カリカリと筆記用具の音が心地よい響きです。

 学校はこうでなくてはなりません。

 意欲と努力は一体なのでしょう。経験からしてそう思います。しかも自分から湧き出でる泉のように、意欲が、努力があれば諸事万端うまくいきます。

 しかし太宰治の津軽にも出てくるように、教室の周囲に実は勉強していることがわからないようにするというのが、なんとなく伝統的に日本の秀才にはある。これを衒いというのでしょう。なにも恥ずかしがることはありません。堂々としていればいいのです。わからないことをそのままにしておくほうが、もっと恥ずかしいですよ。

 わたくしは、県銚の先生方も含めて周囲の人みなわが師だと思っています。専門の方の力量をあなどってはいけない。生意気盛りの高校生の時には、いろいろな人に議論をふっかけましたが、身の程知らず。今、思えば顔から火が出るほどです。世の中、優れた人はごまんといる。うぬぼれて、自分ほどすごい人間はいないと思ったときから、転落の門が開くのです。

 学ぶことです。
 周囲の人すべてに学ぶことです。
 傲慢になったらおしまいですよ。

 県銚の生徒にはいないと思いますが、中には今までさんざんお世話になった保護者の方に悪態をつくのがいます。自分の学力の向上、体力の向上にともなって、周囲が愚者に見えてくるときがあるんです。社会人になってもそういう人はいますが。仕事が変わるといっぺんにそっくり返る人が。

 周囲が愚者に見えてきたら、意欲の減退期が来たと思うことです。つまりそれは自分の向上がなくなる時。なんと言っても自己満足しているんですから。

 どうか転落の門に入って、どっかの穴に落っこちないようにしてくださいね。
 わたくしのこころからの願いです。




 
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勉強

2008年09月08日 19時57分30秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 二学期になり再度授業観察を開始しました。さきほど見させていただきました。数学でした。さすがに県銚の授業はいい。生徒の態度もいい。本当に、来年うちにくれば学力向上間違いないですよ。クーラーもばっちり効いていました。本当に保護者の方々には感謝申し上げます。


 5日の中学校訪問の結果をメールで自分宛に送り、学校内でちょっと検討をしました。対応策を。入試の結果と、クチコミで決定する確率も高いということでしょうし、その決定の要因とは何かということを考えていました。かつて、中学校側におって、わたくしは高校に生徒を送り出す立場にいたわけですから、その辺の心理のあやはわかっていたはずなのですが。あまりここに書くと、他学校に塩を送ることになりますので、これくらいでおしまい。

 「日本の論点」という本が出ていて、それに教育関係が出ています。この本は、年度別に出ていて、その時々の時流にあった話題が識者と呼ばれる人の筆になっています。時代の傾向と対立点がわかります。論争に有効です。そして、だいたいの傾向を知ったら、それぞれの専門の書籍をあたります。必ず紹介されていますので。その中に、現代の教育は、ひそかに地殻変動をしているということが書いてありました。これまで誰もその視点からものを言っていないのです。これは面白いと思ったのです。詳細は触れません。現役ですので。

 それと情報を鵜呑みにしすぎるとかなんとかともありました。編集された情報で間違った判断をしてはなりまぜんぞと警告してくださっているわけです。どうも作られた情報が巷には多いのではないかと。

 特に教育は誰でも語れるわけです。世界に冠たる国民皆教育の国家であるわけですから。けれども学校は知られていません。正確な情報が届いていないし、経験則でものを考える方もかなりおられる。それで、情報発信が始まったわけです。県銚もいろいろとやっていますし、これからも10月末までには新しいメディアで情報を提供していきますが、なかなかご理解いただいていません。内部だってそうです。保護者の方にも生徒経由の文書が到着せず、なかなか難しい面があります。打開策を探っているのですが、個人情報のしばりもあって本当に難しい。

 そういう中で、県銚は学校改善に取り組んでおります。真摯なる教職員とともに。

 「日本の論点」にありました。教育を語るものは自分こそ、つまり大人こそ勉強してほしいと。他山の石ではありません。我がことであります。まずはわたくしこそが一番勉強しなくてはなりません。

 昼食後の貴重な15分間で、ブログ一本書くことをノルマにしていますが、今日もこの辺で制限時間となったようです。これから、午後一番で出かけなくてはなりません。

 それではこのへんで。

 


 

 
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あこがれ

2008年09月07日 06時27分35秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨日夜10時頃柔道の稽古を終わって、例の古本チェーンに帰り寄ってきました。まさか、柔道着で寄るわけには行かないですから、ちゃんとジャージに、Tシャツですよ。ただし汗だくだくでしたが。

 魯迅と、日本の論点、浅田次郎の蒼穹の昴、経営書と購入してきました。これで1000円くらいです。来週も勉強できます。そして思いました。なぜ書店の方のようにブログに本のことを書くのだろう?と。

 それは文化のリレー走者でありたいと思うからです。生徒のことを思うと、これも知らないだろうなぁ、あれも知らないだろうなと感じてしまうからです。無論、早熟の天才もいるだろうとは思います。校長なんか・・・と読書量を誇り、わたくしに勝負を挑んでくるような生徒を実は心待ちに待っているのですが。
(^0^)/

 高校の論語の授業で、高校の先輩で東北大学出の俊秀の先生に、原文の読みについてかみついたことがありました。湯川秀樹博士の兄上が京都大学の教授で貝塚茂樹先生と言われて、少年のくせしてわたくしは貝塚先生の著書をいくつか愛読しておったのです。温厚な先生は、まったく生意気な何にもわかりもしない坊主頭の高校生にゆっくりと後で研究室に来なさいと言われました。瞬間、しまったと思いました。叱られると思ったからです。
 
 国語の研究室まで行っても、ずっと先生と議論していました。先生も決してお叱りにはならなかった。いくつかの学説をあげられて、これはこれこれしかじかとやってくださった。わたくしのような愚昧な生意気盛りの少年を根気よく導いてくださった。

 それがCommunicationであります。交流と言ってもいい。ただ単なる教え・教えられる関係から突き抜けていた。

 もうひとつ、高校時代に文学に関してそれこそ早熟の天才だと思って尊敬していた同級生がおりました。Kといいます。なんか夏目漱石の作品みたいですね。

 わたくしは彼の足下にも及びませんでした。古今東西ありとあらゆる文学作品に通じていました。17歳くらいで。文芸部の部長でした。

 柔道部にも所属し、応援団にも所属し、かたや軟弱とバカにされた文芸部にも所属して自己満足していたわたくしでありました。懐かしい。

 で、Kは大学に進学しなかった。あえて農業の道を選んだ。価値ある生き方をしたいと。農民文学の先達がわが故郷にはたくさんいて、それでその道を選んだのです。

 ある意味うらやましかった。才能がある、それに自信があったからでしょう。自分の生き方を通してしまった。

 この意味で、作家の丸山健二氏をわたくしは非常に尊敬しています。孤高の作家です。当時芥川賞最年少と言われました。文壇と言われる東京でのうじうじとした狭い社会から離れ、信州で暮らし、価値ある作品群を問うてきた御仁です。デカイ犬を飼い、釣りを愛し、オフロードで疾走する。ランニングもやる。しかし、勉強は半端ではない。いろいろな読書に裏打ちされている。実力が違う。その辺の作家とは。

 自分に自信があるということは、それだけの努力に裏打ちされた時間を経験しているからです。

 努力もしないで、生き方にあこがれてはいけません。簡単に、芸能人になったり、オリンピックのアスリートになったりできるわけはないのですから。

 そんなことを思いました。
 
 
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ください主義

2008年09月06日 17時54分30秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨日中学校に行きましたが、わたくしは「ください」マーケティングはやらない主義です。どこでもやっていることは陳腐化(ちんぷか)します。更新されないホームページといっしょです。つくばみらい市の福岡小学校は更新率日本一の学校だそうですが、実はそのレベルを目指していると言ったら嘲笑されるのでしょうか。ちょっと無理ですね、このアクセス数では(アクセス数 合計:173738 今日:482 昨日:622)


 考えてみれば、「ください」と言って「はい、どうぞ」となるほど世の中は甘くはありません。教頭時代もたしかに中学校に訪問させていただいていました。たいていは実務レベルの学年主任の先生と会わせてくださいとやっていました。また、どこでもやっているのならば、たいして効果はない。それは逆にご迷惑をおかけすることになってしまいます。旅費と、マンパワーの浪費にならないようにするにはどうするか。

 つまりニュースレター作戦。その他の情報発信。まだまだあります。
 (^0^)/

 わたくしが中学校に行くのは、先生方と会うことによる新しいIdeaの創出からです。 

 今日は、このことを教えていただいた大学の先生から手紙をいただきました。

 大変楽しくもかつまた厳しい方で、年間120冊くらいは読みなさいと仰る。

 非常にありがたい限りです。 

 英語の先生でしたから、なかなかそちらも厳しい。高校英語の教師たるもの、これくらいは読ませよとリストがありました。シリーズもので25冊もあるのがありました。(研究社の英文法シリーズとか、英語の語法、開拓社の井上義昌著詳解英文法事典)暗記・暗唱・暗写が重要だと。進学高で週に5時間くらいの授業で満足させてはならないとも。

 その他多くの話題で御指導をいただきました。今後の県銚のありかたを考える上でもありがたいかぎりであります。


 たまにはずっと私的なことでも書けば、と連絡をいただくことがあります。しかし、特定の思想宣伝・心情・宗教・政治等の時流に添った話題は、現役の校長としては扱えません。テレビドラマで話題になっていることも、当然研究していますけれども。書かないだけで。

 来週、また中学校訪問をさせていただきます。
 全部の学校は回れないかもしれません。
 旅費と、マンパワーの浪費を避けるためには。

 でも、なにか質問等ありましたら、御連絡ください。
 大歓迎ですから。


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中学校への訪問を開始

2008年09月05日 22時00分37秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 中学校に訪問させていただきました。

 新しい県銚CalendarとCD、印刷物を持って。二つほど訪問させていただきました。

 まったく知らない学校でもありませんし、ましてや三〇年来のおつきあいをいただいている方が管理職で、体験入学にもたくさん送っていただきましたし。お礼も含めて、ご挨拶というわけです。しかも、今まで生徒を送っていただいていない中学でしたから。

 中学校からどう評価されているかということを、実は最も知りたいのです。自己満足に陥らないためにも。

 シビアでした。結果は。県銚の特色を、内容を、教育課程を、部活を、マスコミにどう取り上げられたか、教員を、生徒の様子を・・・・あまりご理解いただいていません。ただし、広報活動を積極果敢にやっていることだけは、かなり浸透してまいりました。銚子の日刊紙を自分で買って、クラス数分郵送していますので、認識は確実に変化しておられるようです。それと県銚だより。これも好評でした。さすが義務制出身の校長だとか妙なほめ方をされてしまって、じゃぁ、組織としてどうなんだ?と言われているような気もしまして、これも反省材料でありました。

 進学の出来る学校という看板についてもまだまだご理解をいただいていません。もっとも、進学校という基準をどこに置くかで、評価は違ってきますから、別にめげてはいないです。本物の進学校というのは、県内に数校しかありません。しかし、本物になってやろうじゃないかと思っているのですよ、本当に。文武全部できる学校として。

 昨日のこのブログの記事ではないですが、「不可能の反対語は、挑戦」だと思っていますので。

 しかし、歴史と伝統の重みというのは確かにあります。東総地区には、明治以来の旧制の女学校が二つあるわけで、県銚も含めてほぼ同じ時期に共学となりました。今日行った中学校は、そちらの学校の地域にあるわけです。曾祖母以来三代その学校には通学しているというような地域性のところなのです。
 
 わかっていただくためには、挑戦をしつづけるしかありません。

 不可能だと思ってしまうと、意欲がなくなってしまいますから。諦めませんよ、わたくしは。

 明日は運動会の中学校が多いようですね。
 どこかの中学に見に行こうかなと思っています。
 ご迷惑でなければ。
 (^0^)/ 
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情けない まったく情けない

2008年09月04日 21時00分54秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 今日は午前中しか学校にいませんでしたので、生徒諸君の動向がよく分からず、これまた寂しい限りです。県の教育委員会に行かなくてはならない用事も校長としては当然あるわけですから。かなり多く。

 さて、都会の高校生の姿・格好が最近随分まともになってきたなぁと思うのはわたくしばかりでしょうか。本来、生徒の本分というのは学問にあるはずで、なんか最近の日本人というのは勘違いをしていると感じるばかりです。まともな格好をするのが当たり前であって、奇抜な格好をしてそれが個性だと主張されるのも自由でしょうけれども、なんか違和感を感じていましたから。文化というのは統制ではありませんけれども、ある意味での常識というものは持っていただきたいと教育者としては思うわけです。県銚生に一番いいたいことですよ、これは。

 私的な話で申し訳ないですが、わたくしの長男は剣士で専門家であります。ある意味ではわたくしの思うように育ってしまった32センチの足を持つ男です。今年の冬にウイーンまで練習試合に行って来ました。さらにこの秋には教授と一緒にフィンランドに試合に行きます。剣道家です。どうしようもない剣道しか知らない長男ですが、ヨーロッパの若者の方がはるかにまともに日本文化を研究し、武道を学ぼうとしていると言っていました。

 ショックを受けました。柔道もそうです。フランスの方が、柔道人口が多い。勉強もしている。 これには根幹的な制度上の誤謬があるとわたくしはずっと言っているのですが、早い話が相手にされていない(^0^)/


 都会の書店で、「トップアスリート名語録」という文庫を買って来ました。PHP文庫です。なかなかの本です。他にも例によってブラジリアン柔術のDVD一体型の本も。今週の土曜日試したい技があったので(^0^) あした県銚の柔道場で一人稽古でもしようかなと思っております。県銚では相手のつとまりそうな生徒はおりませんので。

 その文庫に印象的な文がありました。さっそく三色ボールペンで線を電車の中で引いてしまいました。

 「不可能とは、現状に甘んじる言い訳にすぎない」 (ボクシング モハメド・アリ)

 「不可能の反対語は可能ではない。挑戦だ」 (野球 ジャッキー・ロビンソン)

 他にもたくさん印象に残った言葉がたくさんあったのですが、これくらいにしましょう。

 書店を出た時に、万引きをした青年が店員につかまっていました。ひっくり返って抵抗していました。ささやかですが、放り投げられた書籍(くだらない漫画本)を拾ってやったり、ちょっとお手伝いをしてしまいました。もっと深刻な事態になったら、微力ですがお手伝いを是非ともさせていただきたいと思いつつ。こんなところにも、現代の日本人がどうしようもなくなっているということを感じてしまいました。情けない話です。まったく情けない。どうなっているんだ、日本人は。

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原っぱ

2008年09月03日 19時38分29秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 ずっと、スクール・アイデンティティ(SI)をやってきましたので、学校のイメージ戦略を練るのに必要なアドバイス、経営の視点で学校を見るというpointを教えていただいている実業人の方と今日は親しく談笑させていただきました、学校で。なお、本ブログの熱烈なる愛読者であります。サボらないで毎日書くようにと、激励されました(^0^)/

 さすがに諸葛孔明。世間の狭いわたくしに伝えていただく情報は千金の重みがあります。実にありがたい価値ある人物であります。いろいろとアドバイスをしてくださる方を何人持っているか、呼び捨てにできない人物を何人知っているかということが大切であります。

 先日、池波正太郎を読み尽くしたとうぬぼれていたわたくしに、こんな作品を知っているか?とアドバイスしてくださった方がおられたのでした。そういうわけで、またまた読書の話をさせていただきます。読書の秋ですから。在校生ばかりでなく。

 さて、池波正太郎という作家は昔から好きだったのですが、「原っぱ」(新潮文庫)は読んだことがなかったのです。すぐ買い、すぐ読み、すっかり好きになってしまいました。

 この作家は、大人です。自分だけが特別な人間だとは思っていない。彼は現代の知識人と違って、早くから職業について鍛えられました。穏やかで落ち着いています。白黒の映画のような渋い魅力があります。

 あらすじを紹介するのは避けましょう。

 しかし、ちょっとだけさわりを書かせてください。

 「浮浪の人」という最初の章で、主人公の恩師が出てきます。いつも叱られていたという小学校の佐土原先生でした。ところがその佐土原先生を地下鉄の地下通路で見かけます。ダンボールを敷き、デパートの買い物袋を三つ立てかけて眠っていらした。脇には一升瓶。そんな書き出しから始まります。

 商業演劇の劇作家として有名になった「原っぱ」の主人公ですが、毎日のようにその地下道に行く。楽しみになってしまっている。しかし、とうとう声をかけることはできなかったのです。ところが、ある日その先生はいなくなってしまっていた。一本のゴムひもを、主人公にわたしてくれと仲間に言い残して。わかっていたわけです。来ていたのは。

 こんなしみじみとした小品です。

 力んで、大作家の有名作品に取り組むのもいいと思います。教養として読むならば。有名作品について、激論を交わすなどということも若いうちならいいものでしょう。わたくしは、若いころは主人公の苦悩に同化していたものですが、今は客観的に見られるようになってきました。

 それですから、こんな「原っぱ」のような融和と和解の物語に接すると、こころ和むわけです。

 池波正太郎というと、鬼平とか剣客商売とか、勇ましくて、確かに面白い。しかし、それは一面からしか見ていないのだということを、お伝えしたかったのです。もっとも、まったくなんの作品も知らない場合はこれはまた別の問題ですが。

 読書の秋です。どうか、大いに図書館を利用して読みましょう。脳の活性化のためにも。
 
   

 
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千葉科学大学様との連携授業でした(写真付)

2008年09月02日 19時59分09秒 | 先公ごっこ2008年から2012年




 


 今日は千葉科学大学様のご指導で、高大連携事業の一環としての大学の先生方の授業・講義をいただきました。2年生全学級全員対象です。7時間目に行いました。暑かったのですが、教室は空調のためになかなか快適でありました。応接室・校長室にはないので、科学大学の先生方には演習室にご案内してしまって失礼をいたしました。

 お出でいただいたのは、粕川正光先生(注意の心理学)、三浦剛先生(血液型ってどうして決まるの?)、田井中幸司先生(ダイエットするの?)、細川正清先生(薬の効き方の個人差)、森雅博先生(糖の代謝と低インスリンダイエット)の各先生方です。(順不同)

 ひと昔前には考えられませんでした。
 まったくありがたい限りであります。わたくしのような山深い地の学校に学んだものには考えられないことです。こころより感謝申し上げます。ただ、これが当たり前だと思われてしまったら困るなとは思いつつ。

 こういう高度なレベルの授業・講義の経験ができるだけ、ほんとうに県銚の生徒は幸せです。そういう中から、一生にわたってやるべき仕事がみつかったりするのですから。

 今日は、ずっと試験をやっていましたし、昨日も試験。ちょっと疲れているかな?と思ったら、なんのその。積極的に手を上げていました。

 大学の先生方に、このブログに5時までにアップするとお約束しましたので、守れてよかったと苦笑しているところです。

 動画もアップしたいのですが、さすがにそれは遠慮しました。やればやれますのですが。

 中学生のみなさん!

 どうですか?

 こんなにも県銚は進路に力を入れているのですよ。
 





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コピペ 学習スタイル一考

2008年09月01日 22時00分45秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 コピペってことをNHKの番組でやっていました。クローズアップ現代という番組でした。

 その前に金沢工業大学で、大学の先生方が学生のレポートにそのコピペが多く、見破るソフトを開発したということを知っていたので興味を持っていましたから、余計NHKの番組が面白かったのです。そしたらその先生がたも登場してきたのです。たいへん嬉しかったです。

 確かに情報収集にはコンピュータ、とりわけインターネットは実に有効です。ただし、その「情報」は意図的に編集されていないかどうかについて注意する必要がありますが。

 自分の言葉で考えながら文章を、レポートを書けなくては話になりません。ずっとそう思っていたので、NHKの番組は実に愉快でありました。脳の活性化によくないと例の脳科学者の茂木先生も仰っていた。

 また、三色ボールペン学習法(読書法)を提唱している齋藤孝・明治大学文学部教授も登場してきて、びっくり。2002年に発売された『三色ボールペンで読む日本語』をわたくしも購入してそのまままねしたからです。特に、主観的に大事なところは緑色のボールペンで線を、客観的に大事なところは青色で線を引き、特に大事なところには赤色で線を引くというのは、目からうろこだったものです。今日は、ポストイットでバンバンにふくらんでいた齋藤先生の愛読書も画面に出てきて、大変楽しい時間を過ごしました。『声に出して読みたい日本語』(2001年、草思社)も齋藤先生は書いておられて、こちらもなかなかのものです。日本語暗唱にも効果的な考え方をしておられるのです。

 こういう体で覚えるという作業が大事なんですよとも両先生が言われていた。なるほどなぁ、楽して勉強しようとか、ノートもとらずにとか、そういうのはいかんのですねと理解出来ました。

 ハマトンの「知的生活」という本にも、学習スタイルという点では教えられるところずいぶんとありましたが、今日のこの番組はそれ以来です。ふと、今、ハマトンの本はどこに?とコンピュータから目をそらしたらありました。椎名麟三全集の上に。90センチの距離です。ごめんなさいねと思いました。これからほこりを払って、明日学校に持って行きましょう。でないとかわいそうです、本が。
(^0^)/

 在校生諸君、学問に王道はないようですよ。
 コツコツとやるしか。

 がんばってくださいね。

※コピペ=コピー・アンド・ペースト(Copy and Paste)とは、文章やデータなどをコピー(複写・複製)し、そのコピーしたものを貼り付け(ペースト)するという操作を表すコンピュータ用語である。(Wikipediaより)
 
 
 
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/