忘却というのは、人間の性である。でないと、今現在、暮らしていけないではないかというのもわかるような気がする。愚生だって、被災地に住んでいるからこそ... blog.goo.ne.jp/tym943/e/83605…
うちら研究者は”裁量労働制”がベースだけど、もうその”裁量”が気違いじみたレベルになりつつある。上から押しつけられるものよりも、研究を進めるためにはやらざるを得ないことが多すぎて。おそらく肉体的、精神的に疲れてる大学教員は山ほどいるだろうな。
【現在上演されている狂言は室町言葉?】そうだとも言えるしそうでないとも言えます。室町言葉が残っている部分もある一方、伝承されるうちに江戸時代の言葉が取り入れられたりもしています。
僕よりもずっとずっと若いソムリエと話をしていて、何歳にもどりたいかと聴いたら、彼女は「戻りたくない。今がいい」と。ああ、いいなあ、そういうの。僕も過去には戻りたくない。今が一番楽しいのだ。
雑誌で読書論の特集というのはしばしばあるが、その多くは本の選び方である。本の読み方について、しかも具体的な技術について書かれたものは少ない。季刊『人間会議』2013夏号「特集=本の読み方・選び方」に、わたしは本の読み方の技術について書き、図読の久恒啓一氏との対談を掲載している。
面接って結構NGワード多いんだけど、こういう杜撰な面接するところって大丈夫なんか。◆「鬼畜面接官」学生に圧迫面接が下手と評価されるケースも news-postseven.com/archives/20130…
佐々木閑『仏教は宇宙をどう見たか』
現代の宇宙論と仏教の宇宙論の比較かと思ったら、アビダルマ倶舎論の入門書だ。倶舎論の簡単な解説書はなかなか無いので面白いかもしれない。真面目に読んでみよう。
シギリア(シーギリヤ)ロック 5世紀の後半11年間だけ王朝があったシギリア(シーギリヤ)には当時は500枚以上の壁画があったそうです pic.twitter.com/Phzcs4ZuDt
”自閉症の子は「自分だけの狭い世界で生きている」とよく言われるが、今日では、むしろ、ふつうの人のほうが、言葉と意見という自分だけの狭い世界で生きているように思う。” j.mp/12av025 『動物が幸せを感じるとき』グランディン/ジョンソン
永平寺一葉観音:この像は昭和47年(1972)に開眼供養が行われたもので、高祖大師が中国より帰朝の折、海が荒れ船中で苦しんでいた時、観音普門品偈を唱えると一葉の観音が現じ、荒波も静まり無事帰国できたという因縁による。twitpic.com/9csqzg
言語能力の基本は音声言語の表現力にある。力強いことばで語れる能力こそ生きる力なのだ。あらかじめ言いたいことが心にあって口に出るわけではない。ことばと心は同時のものである。身体運動を基礎にした発声と2音3音の強弱リズムで発話が行なわれる。その結果が、心の表現と呼ばれるものである。
Schweglerの『西洋哲学史』は自分が青春時代に読んだ本。Schopenhauerを送れと言っていた息子がどんな感想を持つのか興味が無いわけではないが、むしろ思想的インフラ整備だと思って読んでほしいと思った。
コミュニケーション障害の「プロソディ障害」は吃音症だそうだ。苦手なのが「音と音節の繰り返し、音の延長、間投詞、単語が途切れる、無言の停止、遠回しの言い方、過剰な身体的緊張とともに発せられる言葉、単音節の単語の反復」だそうだ。確かに、これらの言語訓練に2音3音区切りの技術が使える。
Seattleにいる息子に送る荷物に Schweglerの『西洋哲学史』(上・下巻 谷川徹三ほか訳 岩波文庫)を入れて送った。読まなくてもいいと思ったのだが、twitterを見ると「死んだ哲学」などと言いながら目を通している様子。ちょっとうれしい。
転生:平櫛田中が大正期に制作。一見不動明王だが仏教的意味はない。造形面では天平や鎌倉の仏像研究が背後にある。「生温いものは鬼も喰わぬ、喰うには喰ったが気持ち悪く、流石の鬼でもはき出してしまう」という田中が幼少期に聞いた話が題材。twitpic.com/8mv52k
拙著『朗読の教科書』の2音3音区切りによる日本語リズムの訓練が「プロソディ障害」の言語聴覚療法に役立ったという話を聞いた。それは「強弱、抑揚、速度、滑らかさといった音声の特徴的な要素を意味し、通常、吃音(きつおん:ドモリ)を意味する現象」である。わたしの教室でも克服した例がある。
いま調子の良い、自動車産業や、精密機械のエンジニアで、「自分は一生安泰」と思っていたら、相当、危険ですよ。産業は残るかもしれないけど、必要なスキルは変わるから。