と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

8月21日(日)のつぶやき

2016年08月22日 05時14分46秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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台所を***ドノの専有物から奪い取ること( ̄ー ̄)

2016年08月21日 09時22分01秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ボキの方が遺されて独居老人を生きていくしかないのだとしたら、今の現状では恐ろしい・・・

 

 

昨日の町内会で行う予定であった納涼会という名の夏祭りは、台風の影響で中止。焼きそばとか、モツ煮とか、アイスとかいろいろ売っていたのである。中止でなければ。

それが中止になったから、タノシミにしていた孫たちはがっかりしてしまった。しかし、あんなに雨が降っていたらやるわけにはいかないだろう。当然の判断である。区長の判断であった。その場にボキも居合わせたから、さすがにリーダーというのは違うと思っていた。赤字になるなぁとこぼしておられたが。当然であろうけれども。

それに、ボキはジジイとしてはまだまだ若い。80歳を過ぎてもかくしゃくとしている高齢者が多いからである。老人大学も然り。老人クラブも然り。ちょっと入学、入会するのが早かったんだと思っている。元気な高齢者ばかりいるからである。そういうのは後期高齢者からでいい。でも、それまで仕事関係以外の友達をいきなりつくろうとしても無理である。後期高齢者になるまでには、ゲートボールもなんでもマスターしておきたい。

早期教育である(^_^)。

ボキなんかまだまだ小僧っ子である。

若造である。

こんな若造が、ジジイぶって体力がない、病気上がりだとか言い訳ばかりしていたらアホ扱いされてしまう。

事実、ボキもそう思う。「ガッツがあって健康」でなければならん。生涯学習ごっこをするためにも。

ま、ボキの場合家の中に閉じこもっているというジジイではない。少なくとも。むしろ出過ぎて困っているくらいだろう。家族のモノは。

家にいないからである。

積極的に外に出るようにしている。濡れ落ち葉だけにはなりたくないからである。そんなもんになっちまったら、かなりの確率で捨てられる。

だから好きなように生きていればいいのである。

今、密かに狙っているのが、台所を古女房ドノの専有物から奪い取ることである。なにしろ使わしてくれないのだ。ボキが使うと汚れる、整理整頓ができないと叱られる。それでいて、なんにも料理ができないと軽蔑される。あたりまえである。台所に立たせてくれないからである。活躍する場がなくては練習もできないではないか。

もしである。

もし、ボキの方が遺されて独居老人を生きていくしかないのだとしたら、今の現状では恐ろしいことになる。

早期に自学自習していないとアカンですな。料理法を。

そんなことはあり得ないであろうが。

100%ボキの方が早く死んじゃうだろうから。

わははっはははっはっははっはははは。

 

Bye-bye!

 

 

 

 

 

 

 

 

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8月20日(土)のつぶやき その2

2016年08月21日 05時14分27秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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8月20日(土)のつぶやき その1

2016年08月21日 05時14分26秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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祭の準備であった・・・・嬉しいねぇ!

2016年08月20日 13時29分27秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

舞台の設定、テントを張ったりしていた。久しぶりに外で身体を使って働かせていただいた。

 

 

明日祭りがある。観音祭りである。今年から二年間町内の役員をやらせていただいているので、今日はその準備で朝8時から、13時までずっと仕事をしていた。

舞台の設定、テントを張ったりしていた。

久しぶりに外で身体を使って働かせていただいた。ところが、今日は台風が接近していて、不安定なのである。大雨になったり、すっと晴れたりしていた。

間を縫って祭の準備である。基本的に、ボキはこういうのが好きであるから楽しかったのである。しかしである。体力勝負なのが(*_*) マイッタ。むろん、一年半前にICUに入院したからである。久しぶりに、外で体力勝負の仕事をしたからだ。

結果、はぁ~?なんでもないじゃん!ということであった。

なんでもなかったからである。最初ちょいと不安であったが。思うに、ずいぶん体力がついたもんじゃ。一年半前のボキの状態からは考えられないですよん。これもまた観音様のおかげですなぁ~。

もっともアレか。ボキのような信仰心のまったくない、ナンデモ教だと観音様の怒りにふれっちまうか・・・・クワバラ・クワバラ。発言には気をつけましょう(^_^)。

それにしてもありがたいことである。

外でこんなに長い間作業できるようになったことがである。これも某大学大学院を諦めて中退した結果である。あのまま、机にしがみついていたら、これほどの健康回復はなかったに違いない。

そもそもが能力的に無理だったのである。だから、良い体験をさせていただいたもんだと思う。これもまた生涯学習ごっこの成果である。マジに。

教育とは断念させることも含まれるというのが、ボキのモットーでもある。

おだててチヤホヤして、将来に夢を持たせて、結果失敗しても責任はないから教育は成り立つ。そして、オノレの才能や能力に絶望しても「ガッツを持って健康に」生きていくこともまた大いなる教育の効果である。体験上、ボキは本当にそう思うようになってきたからである。

絶望から立ち直れないというのではアカン。

絶望なんていくらでもある。

好きな異性にふられてしまったからといって、自死を選んでいたらアカン。借金をして困っていても、立ち直れるチャンスはいくらでもあるのじゃ。受験に失敗したからと言っても、なにも死ぬことはナイのである。

青春の蹉跌なんて・・・そんなもん遊び人の戯言だ。

それよりも「ガッツと健康」である。

元気な精神と、健康な身体である。

それさえあれば、どんな境遇になっても生きていけるというもんじゃ。

さ、これからあまりにも汗をかいたので、近くのスパにでも行ってくる。

夕方には、またwalkingである。

わはっはははっはははは。

「ガッツと健康」のために。

 

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8月19日(金)のつぶやき

2016年08月20日 05時16分03秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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一遍聖絵に思うこと

2016年08月19日 15時05分27秒 | 在野研究ごっこ

 

実践こそ大切であると思うのである。Walkingも、宗教学も研究してなんぼというようなものではないだろうから。ま、他人のことは言えねぇ、言えねぇ。

 

 

「一遍聖絵」という本があって、県立図書館から借りたことがあった。気に入ってしまって、とうとう自分用に買った。むろん中古本である。例のAmazonからである。年金生活者にはありがたい会社である。しかも、ボキの机の上から買うことができる。インターネットで。

今日の記事は、その一遍聖絵の中にある一遍さんとその妻(妾とも書いてあるけど)超一、長女の超二、お供をしている念仏房その他のことである。

ボキは、この絵を見ていると実に落ち着く。

決して学問僧であろうとはしなかった一遍さんの実践人としての姿が出ているからである。

捨てて、捨てて、捨てまくった方である。

当然、万巻の経文も、そのメモも持参しておられない。

しかも、妻と娘と一緒である。

ここらあたりが、西行とは違う。西行は、出家するにあたり、自分の子どもを蹴飛ばしてまで家を出て行った。大男で、力に優れ、武芸も相当なものであったという。

日本最大・最高の歌人でもあった。否、和歌のみを残そうとした僧であり、事実そのとおりになった一流の知識人である。だからこそ、ボキのような一介の田舎人にはついていけない部分がある。その激しさにである。あまりも激しいからである。そんなに和歌の世界に執着しているのであったら、なんのための出家であったのだろうかと疑問におもうからである。

それでも西行は評価が高い。

知の人間としてである。

一遍さんは、違っている。知の人間ではない。優れた僧としての知名度や、実績というものでもない。

なにしろすべてを捨てて、捨てて、捨てまくった人である。

この絵は、その一遍さんが遊行の旅に出ようとしているその日である。ものの本によると、文永11年(1274)の旧暦2月8日であったらしい。

さらに一遍さんは学者ではない。生まれながらの詩人である。であるからして、伝記とか研究書から入らない方がいい。あくまで詩としての一遍さんの言葉から入って行った方がいい。

まとまった経典研究の類いのものはないから、かえって気が楽である。眉間に皺を寄せて難しい経典研究を読ませられたら、こっちだっていやけがさす。

そもそもボキは信仰というものを持っていないし、いろんな宗派を渡り歩いているアホだからである。

しかも仏教だけではなかった。これまでの宗教についての放浪は。キリスト教ですら専門の方について教えをいただいていたし。

だからではないが、実践こそ大切であると思うのである。宗教学は研究してなんぼというようなものではないだろうから。

ま、他人のことは言えねぇ、言えねぇ。

わははっははっはははっははっはは。

けふも孫と一緒に、出羽の海部屋の相撲合宿を見に行った。

孫が好きになったらしいから。相撲を。

孫は二人とも男児である。

これまた相撲も実践一つである。

研究してどうするこうするというようなもんでもないだろうから。

さ、孫が昼寝している。

これからボキは実践人としてgymに行ってくる。歩いてくる。

歩かないと死んじまうからである。

 

 

Bye-bye!

 

 

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8月18日(木)のつぶやき

2016年08月19日 05時11分24秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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最初に言い訳がくる。できない理由を探している中国語講座・・・トホホ。

2016年08月18日 08時00分26秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

厳しい中国語講師先生からのご指導に目がさめましたよ・・・マジに。

 

 

中国語講座に行ってきた。昨日のことである。講師の中国人女性が、昨日は厳しいことを言われた。単語だって100語くらい三日で覚えよというものであった。何年やってもモノにならないというフレーズまで覚えさせられた(^_^)。

以前のボキなら撤退を考えただろう。ここまで要求されたら。

できないからだ。最初に言い訳がくるからである。できない理由を探している。

そもそもである。そもそも普段から努力していないではないか。中国語の会話も、街で中国人を見かけたら積極的に話しかけてみるべきなのにそれもやらない。

うううううううううううううむである。

最初から努力を放棄している。

(*_*) マイッタね。

そういうことだから、博士を目指したゴミ論文書きもダメだったのである。しかも健康を害したことも言い訳になっているのだ。

アカンですなぁ。

逃げ回っているのである。

すべてから。

かつてボキはこんなふうではなかった。バイクに乗ってガッツと健康を絵に描いたようなセーネンであったのだ。マジに。

あらゆることにチャレンジしていた。

作家の丸山健二に学んだことが多かった。組織に依存しない、自立して生きるセーネンをマジに目指していたのである。

だから、ボキは世間を上手に渡ることが苦手であった。今もそうである。ゴマすり根性がまったくない。こういうのだから、研究者や学問の世界で「も」失敗したのだ。もっとも、ボキの能力じゃぁ最初から無理だったけどねぇ。

大学の学部を卒業したときも(半世紀近く過去のことになる)、大学院修士に進学したいと申し上げたら、即答された。成績不良で進学できないと。あれからボキは就職して職業人としてがんばろうと思ってやってきたのである。

そういう18歳から22歳までの思いがあるから、定年後に大学院に入ったのである。

勉強不足である。だからである。やってみたかったことをやらないというのは、死んでも死にきれない。

ジジイのせめてもの「迷い」である。

これがである。ジジイになって眉目秀麗なる美女に血迷っているよりはいいではないか。そんなもんに血迷って晩節を汚すこともない。

日頃からの鍛錬修練である。中国語も。

それを昨日は中国人講師の眉目秀麗なる美女に教えていただいたよん。

ありがたいことである。

感謝である。

実力があるかどうか。その一点である。語学は。しかも、話せるか話せないかというように評価ははっきりしている。

ボキは話せない。

だからまだまだなのである。

今日は、新しいKindleが来る。Amazonから。

Micro sdでデータも保存できる新型である。それでまた勉強である。語学も、民俗学も、俳句も、郷土史も。

やることは多いからなぁ~~~~。

さ、また新しい一日が始まる。

 

Bye-bye!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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8月17日(水)のつぶやき

2016年08月18日 05時15分13秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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去年の記事 Wordで苦労したっけ(^_^)

2016年08月17日 18時05分23秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
Wordが難しくて、こまっちゃうなぁ、ジイジには・・・・トホホです
 Wordのことから、飛んで・飛んで・・・どこに行くのかジイジは  Wordというワープロを使い始めたのは、大学院博士後期課程に入学してからである。......
 

 

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自得の部分にである。 教えてもらってナンボの世界でない。「透明な力 不世出の武術家 佐川幸義」という本に学んだこと。

2016年08月17日 06時16分48秒 | 在野研究ごっこ

Walkingしているときも、ただただダイエットだけが目的なのではなくて、自得のために、あるいは健康即体力養成、すなわち頭脳の健康もねらっていくという方向に変更していくことである

 

 

佐川幸義という武術家がいた。大東流合気武術師範である。孤高の武術家であって、自分の流派を宣伝したり、門弟をたくさん作って収入増をはかるということをなさらなかった方である。さらに、あまり教えなかった。技とかも門外不出、秘伝というわけである。身体作りの方も、秘密主義であった。

しかし、教え方は非常に具体的であったらしい。宇宙との合体とか、気だとか、愛だとか説かなかった。あくまで技術であるとして、「相手のチカラを無くしてしまう」技法というのを持っておられた。

リキムということも完全否定されていた。なるほどである。力んだらおしまいである。特にJUDOでは。もっとも横文字のJUDOは、リキム武道になってしまったが。つまり、体力自慢、パワー自慢である。だから、中途半端に年をとると、できなくなる。力んだら、若い人にかなわないからである。

自得ということを繰り返し教えた。

習って覚えるものではないということである。

自分なりの工夫・研究というものが最も大事であるとされた。なるほどである。教えてもらったから、マスターできるようなものではない。武道というのは。柔道もド素人だけれども、それくらいはわかる。ボキでも。

さらに日頃の工夫鍛錬が大切であるとされた。日頃の体力養成、鍛えの日々を持つことである、と。

確かに、体力がないと、アタマまで衰える。

最初から衰えているけど、低レベルなりに、アタマの健康も大事にしていきたいと思っている。だから、体力を鍛えて、アタマの健康も維持していきたいのである。

生涯学習ごっこのコツみたいなものである。

で、ここからが大事なことである。

それは惚け防止のために、いろいろ語学学習をやっているが、この武道鍛錬と語学の鍛錬学習は一致しているのではないかということである。

FBの中国語学習グループの先生が、自得に関して書かれていたのである。さらに、学習方法のことも教えていただいた。佐川幸義先生のことも、このFBで教えていただいた。即、Amazonに注文したのが一昨日。昨日来たので、家で読了。

書名を「透明な力 不世出の武術家 佐川幸義」(文春文庫 木村達雄著)。なお、著者は東大の数学科から同大学大学院を出て筑波大学の教授までされた方で、剣道、合気道、大東流のそれぞれの段位を取得しておられる方である。

大変に感動した。

自得の部分にである。

教えてもらってナンボの世界でない。

確かに自分で努力していないと、マスターできない。語学も武道も。否、あらゆる生涯学習ごっこが。

完成はないのである。

四六時中、自得を目指してやっているかとなると、ボキは自信がない。語学も生涯学習ごっこのことも忘れているからである。

早い話が、机に向かっているときだけである。

これをである。Walkingしているときも、ただただダイエットだけが目的なのではなくて、自得のために、あるいは健康即体力養成、すなわち頭脳の健康もねらっていくという方向に変更していくことであると気がついた。

アホ・バカ・惚けのボキには、最近にない良書であったと思う。

またまた生まれかわるかもしれないねぇ。

今更だけれども。

 

Bye-bye!

 

 

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8月16日(火)のつぶやき

2016年08月17日 05時15分42秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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坂村真民先生のように生きていきたい・・・無理かもしれないが

2016年08月16日 07時48分43秒 | 在野研究ごっこ

どうしても他者比較の地獄に生きている

 

 

坂村真民先生の本を久しぶりに読んだ。昨日、ボキの書庫にあったのを思い出したから。

坂村真民先生とは、坂村真民記念館(http://www.shinmin-museum.jp/)の紹介によると以下のとおりである。

 

1909年(明治42年)、熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)生まれ。本名、たかし(たかし)。8歳の時、父親が急逝し、どん底の生活の中、母を支える。神宮皇學館(現・皇學館大学)卒業後、熊本で教員となる。その後、朝鮮に渡って師範学校の教師に。終戦後、朝鮮から引き揚げて愛媛県に移住。高校の教員として国語を教え、65歳で退職。58歳の時、砥部町に定住し、92歳で砥部町名誉町民に選ばれる。2006年(平成18年)97歳で砥部町にて永眠。

20歳から短歌に精進するが、41歳で詩に転じ、個人詩誌『詩国』を発行し続けた。仏教伝道文化賞、愛媛県功労賞、熊本県近代文化功労者賞受賞。

一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。

 

しかし、まだ行ったことがない。一度は行ってみたいところである。

ま、そんなことはどうでもいい。

坂村真民先生の生き方がボキのような凡夫とは違っているということである。ボキなんてぇふざけた自称もなさらない。当然である。人間の出来が違う。

一言でいうと反省させられた。

これまでの生き方、今、現在の生き方をである。

どうしても他者比較の地獄に生きている。どうして他人とボキを比べるのだろうか。あるいは、比較されてハラが立つのであろうか。

情けない。

悟りの境地とは程遠い。

論文然り。

読書体験然り。

家庭環境然り。

近所付き合い然り。

老人大学の人間関係然り。

郷土史もそう。

本当にバカバカしい。

バカはこうやって生きているという見本である。

オノレがナイ。

確立していない。

揺るぎがある。ゆさゆさと揺れている。実にバカそのものである。

もっと自己否定の徹底をしていかなくちゃアカンですなぁ。

でないと苦海そのものである。

あさましいことである。

ボキなんか。

 

ムムム・・・・・トホホ。

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8月15日(月)のつぶやき

2016年08月16日 05時14分52秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/