音楽浴
2007年12月22日(土)
12月20日付けの毎日新聞に、作家の光野桃さんの「コラム」が載っていました。その美文をぜひ、紹介したくて・・。
光野さんが、イタリア人で初めてチャイコフスキー・コンクールで優勝したというチェロ奏者のマリオ・ブルネオのコンサートを聴いたことのエッセイです。
(前略)溢れんばかりの色彩に満ちたブルネロの音楽が、頭の上からシャワーのように降り注いでくるのである。それは、聴く、というより、まさしく、浴びる、と言った感覚に近かった。音の粒が、一つ一つはっきりと感じられ、それが、身体の中心に響き、奥底から揺さぶってくる。音楽が色となり形になって、ストレートに身体に入ってくるのだ。
音楽とは確かに振動なのだ、と、そのとき実感させられた。振動の細かな粒が、体内の水を揺らして、マッサージする。身体と心が一体となって「気持ちいいっ」と叫び始める。
いい音楽を聴いたときはエンドルフィン(気分を高揚させる脳内物質の一つ)が湧出されて、脳波がアルファ波になる、とはよく言われることだが、演奏する音楽家に近い場所で聴くことは、まさしくその効果が強められるのかもしれない。
「クライマックス」へと続きます。
演奏が終わったあと、友人の顔を見ると、つやつやと、まるでエステに行ったみたいに輝いている。お互いに肌がきれいになったことを確認し、これこそ「岩盤浴」ならぬ「音楽浴」効果だと発見した思いだった。(以下略)
私も、最近「音(楽)浴」を感じることがあり、10月27日付け「アジアン・ユース・オーケストラ」で触れたのですが、文章力がなくて・・。
ところで、私はベートーベンの第9の合唱団員として歌ったことがあります。
そこで感じたのは、「音の礫」なのです。
私の後ろの人が歌う声が、「固い音の塊」になって、私の後頭部を直撃するのです。合唱指導の先生も、「前の人の頭に唾を飛ばすように声を出しなさい。」と言っていました。繰返しますが、「音の礫」です。
合唱団員は、その「音の礫」を投げつけられると、アドレナリンが湧出され、自分も誰かに投げ返そうと「戦闘モード」に入ります。合唱団全体が「戦闘モード」になることにより、あの迫力ある合唱になるのです。
「音の礫」を感じるのは、多分、オーケストラの団員も同じだと思います。
ということは、ステージでの音の「礫」がフロアーに伝わる間に、「て」が消え、光野さんの言う音の「粒」になるということなのでしょうか。
どうして、「て」が消えるのでしょうか? 私は、なんとも、想像力をかき立てられ、ロマンを感じるのです。
「なるほど」と思った人は、私の「目くらましの礫」に惑わされた?の?か?な?