続・続 原水爆禁止国民平和大行進 2016
2016年8月9日(火)
http://blog.goo.ne.jp/windy-3745-0358/e/88e6ba3968fb90ae07c2e8f6bf3e8d05
↑ の続きです。
8月4日、広島市の中区役所から、平和公園へ向かって行進です。
本安川に架かる平和大橋からの風景です。71年前の8月6日は、夥しい人が川の中で死んでいたのです。
橋を渡って南側河岸に慰霊碑があります。「E=MC2」が目につきます。
広島市高等女学校原爆慰霊碑とあります。
何と、676人が被爆死したとあります。当時12・13歳ですよ。
数日前のNHKのドキュメント番組で、トルーマンは原爆投下に関して明確な判断をした訳ではなく、軍人の投下責任者の暴走であった、というような趣旨のことを言っていました。冗談ではありません。仮にトルーマンが認識が十分でないとしたら、むしろそのことの方が大罪とも言えます。原爆投下の責任者を一軍人に負わせるような、矮小化をしていけません。トルーマンの責任追及は、これまで十分とは言えないと思います。これからの歴史が審判すると思います。(十分でないというのは、アメリカで、原爆投下は正しかったと認識している人が多いということが、最大の証左です。)
私は高校の時から、原水爆禁止運動に係わってきました。1964年頃です。その当時既に、原爆投下は、第二次世界大戦終了後のアメリカの世界戦略の一環として行われたと、言われていました。平たく言うと、アメリカがソ連に対して優位に立つためですね。トルーマンは原爆投下により、アメリカ軍の犠牲を少なくすることが出来たと、原爆投下の正統性の理由にしています。確かに、原爆の投下がなければ、戦争はまだしばらく続いて、双方多くの犠牲が出たでしょう。そのことを私は否定しません。(トルーマンの説によるとしても、長崎への投下は必然がなく説明ができません。長崎は広島とは違うプルトニウム型の原爆でした。平たくいうと、人体実験のために投下した訳です。)
しかし、最大の狙いは、先に言ったことにあった訳で、第二次世界大戦後アメリカが優位的立場を築くための戦略的意図ももって原爆を投下したというのは、既に定説になっています。戦争を早く終了させるというのは、後からとって付けた理屈です。
トルーマンが勇気がある人間であれば、原爆資料館を訪問し、自論を堂々の述べれば良かったでしょう。
あと、もう少しです。
11:30、平和公園到着。
他のグループと合流しました。
71年前の広島は、cloudressだったということですが、この日、ありました。
本郷新の「嵐の中の母子」。この像は、何時見ても心打たれます。母親の限りない慈愛を感じます。
主催者発表で500人とありましたが、その半分程度ですね。サバを読むのは止めましょう。factが重要です。原爆投下に関してもfactが重要で、トルーマンの言う様に、アメリカ軍の戦死者を少なくすると為とウソを言ってごまかしてはいけません。
報道カメラが来ていなかったような気がします。ニュース価値がないと判断したのであれば、由々しきことです。
余談ですが、約3時間の直射日光下の行進で、私の両腕は、火傷をしたようになり、チリチリと痛みました。不思議なことに右腕の方が「重症」でした。あの日、のことは想像もできません。