東証出来高64億株
2013年4月7日(日)
日本社会がバブルに浮かれていた1988年、その余波が私のような人間にも少し及んだ経験があります。
1988年11月15日、私は東京兜町の東京証券取引所に行きました。当時職場の研修で東京に滞在していたのですが、その研修の一環として見学に行ったのです。
その日の東京証券取引所市場も、史上最高値更新で、途中TOPIXは2229.91(+10.22)を記録していました。(参考までに、2013年4月5日は1066.24(+28.48)。
私の記憶では、連日30とか40億株の売買があり、中でも新日鉄の売買が盛んに行われ、史上最高値の998円を記録したように思います。
そのバブルの余波ですが、友達に連れられ銀座のクラブに行き、代金は3万円支払ったと日記に書いてあります。4回くらい行ったでしょうか。銀座通りはタクシーで埋っていて、シロタクで2次会へ行ったこともありました。
今、仮にバブルになったとしても、1回3万円也のクラブに行くなどという愚かなことはしないでしょう。
さて、4月5日の株式市場ですが、「黒田緩和」で、株式、債券、円相場が乱高下するという、まさにバブルの予兆のような展開を示しました。
債権相場では、10年物国債の利回りが一時0.315%!を付けたということです。その後は、利益確定売りがあり0.620%まで急上。0.315%というのは世界の歴史上初めての数字です。
金融市場では、山が高ければ谷が深いという趣旨の格言があります。
いずれこの反動が来ることになるでしょう。債権の利率が「山」のように上昇しだしたら、1000兆円もあるというその利払いはどうなるのでしょうか。
私は、底知れぬ不安を感じています。
出来高は株式市場の活性化を図る尺度ですが、私は売買高にするべきだと思います。
株価100円で売買株数が50億株だと、売買高は5千億円ですが、同じ売買株数でも株価が1000円だと売買高は5兆円になる訳ですから、どちらが株式市況の活性化を図る指標として適当かと言われれば、明らかに売買高と思います。
2013年4月7日(日)
日本社会がバブルに浮かれていた1988年、その余波が私のような人間にも少し及んだ経験があります。
1988年11月15日、私は東京兜町の東京証券取引所に行きました。当時職場の研修で東京に滞在していたのですが、その研修の一環として見学に行ったのです。
その日の東京証券取引所市場も、史上最高値更新で、途中TOPIXは2229.91(+10.22)を記録していました。(参考までに、2013年4月5日は1066.24(+28.48)。
私の記憶では、連日30とか40億株の売買があり、中でも新日鉄の売買が盛んに行われ、史上最高値の998円を記録したように思います。
そのバブルの余波ですが、友達に連れられ銀座のクラブに行き、代金は3万円支払ったと日記に書いてあります。4回くらい行ったでしょうか。銀座通りはタクシーで埋っていて、シロタクで2次会へ行ったこともありました。
今、仮にバブルになったとしても、1回3万円也のクラブに行くなどという愚かなことはしないでしょう。
さて、4月5日の株式市場ですが、「黒田緩和」で、株式、債券、円相場が乱高下するという、まさにバブルの予兆のような展開を示しました。
債権相場では、10年物国債の利回りが一時0.315%!を付けたということです。その後は、利益確定売りがあり0.620%まで急上。0.315%というのは世界の歴史上初めての数字です。
金融市場では、山が高ければ谷が深いという趣旨の格言があります。
いずれこの反動が来ることになるでしょう。債権の利率が「山」のように上昇しだしたら、1000兆円もあるというその利払いはどうなるのでしょうか。
私は、底知れぬ不安を感じています。
出来高は株式市場の活性化を図る尺度ですが、私は売買高にするべきだと思います。
株価100円で売買株数が50億株だと、売買高は5千億円ですが、同じ売買株数でも株価が1000円だと売買高は5兆円になる訳ですから、どちらが株式市況の活性化を図る指標として適当かと言われれば、明らかに売買高と思います。