水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

庶民感覚

2008年10月23日 | 日々のあれこれ
 連日呑み歩いている麻生首相を、新聞記者は庶民感覚がないとか書いてるけど、どうなのかな。
 麻生首相の逆ギレのインタビュー記事を読み、一国の首相が、新聞記者にこんな言葉遣いで話しているのかと暗鬱とはするものの、気持ちもわかるような気がする。
 だいたい、「首相! そんなことで庶民の気持ちはわかりますか?」と問うている人たちは、庶民なのだろうか。
 大新聞の記者がどれだけの給料をもらっているかはっきりバレたら、多くの日本人はけっこうカチンとくると思う。 

 ちなみに一人でビールを呑むとして、一番落ち着くのは、たぶん池袋駅構内のグランドキッチンみかど、生ビール380円ですわ。
 おつまみにシューマイ130円つけてもいいし、豪華にやきそば330円をとるという手もある。
 ここまで奮発しても、まだ麻生首相の飲み物一杯分には達しないけど、それでくやしいとは思わないし、逆に一国の首相にみかどで呑んでほしいとは思わない。
 年に一回そんな店で呑んだからといって、庶民感覚が理解できるものではない。
 おれが赤坂プリンスのバーで一回呑んだところで、上流階級とはみなされないのと同じだ(ここで赤プリ程度しか思い浮かばないのが … )。
 でも、たとえ一杯1000円するビールでも、いざとなれば呑む気概は、ある。
 なんかの人生の機微で、妙齢の女性とお酒でも呑みましょうかということになったとしたら、たぶんみかどは行かない。「さくら水産」も避けるだろう。「やきとり大(ビッグ)」さえ躊躇する可能性がある。
 
 だいたい、首相が庶民であっては困るのだ。
 だから、新聞記者につっこまれたくらいで、品のない受け答えをしないでほしいものだ。
 自分の国の主には、品はよくあってほしいと願うのが庶民の願いだ。
 新聞記者も、高い給料をもらっているのだから、「庶民感覚」で質問してもらっては困るのだ。
 高い店をあることを批判するのではなく、そうやって呑んでて、なんかあったときだいじょうぶなのかと問うべきだろう。
 クラスの生徒が家出して行方不明だという連絡が入った夜、担任は呑んだくれていられない。
 夜中連絡がきて車を出すようなことになったら、いやだなあくらい想像する。
 今の日本て、どうなんですか。
 金融危機の具合いとかを思うと、よくわかんないけど、クラスの生徒が家出してるよりも危険な状況じゃないのだろうか。
 だいじょうぶですか。
 そんなことだと、また発表の直前に「あ、テロ指定解除するから、いちおう言っておくね」的な扱いしかしてもらえないのではなかろうか。
  



コメント
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