夏期講習は2時間目から休校になり、大講堂スクリーンでの観戦、応援となった。
結果はご存知かと思われるが、延長の末の惜敗。
生徒も教員もいい思いをさせてもらえたし、応援にいったわが部のみんなも、あついものを受け継ぐことができたと思う。
ご声援いただいたみなさんに感謝したい(って、おれ誰?)。
今日は学校見学会もあったので、学校に残った木管で少し基礎合奏。存在そのものは認識してもらわないとね。
学校にもどってきた応援組とA・Dともに一時間ぐらいずつ練習し、明日の準備、Tubaのレッスン、居残り組の送り。
上福岡におろした部長さんほか数名が、バスを降りたあと、ふかぶかとお辞儀をしてから駅に向かっていく様子を見てた人がいたら、この学校はなんとすばらしい高校生のいる学校だろう、だから野球も強いのかななんて思ったことであろう。
ピッチャーの高梨くんは、たまたま入学試験の面接にあたり、なんと目力の強い子だろう、なかなか本校にはいないタイプだなと感じた。その後はなんの接点もなかったから、なおその時の印象が強いのだが、なかなか本校には見かけなかったタイプだったからこそ、本校で本人もまわりもうまく化学変化を起こして成長できたのではないか。
おしくも今日敗れはしたものの、これで引退する野球部3年生たちは、自分たちのやってきたこと、ともに過ごしてきた時間に誇りをもっているのではないか。
わが部も、一日でもながく3年生たちといっしょに演奏する時間を長くしたいものだ。
最近つい、自分の高校生のときはと考えてしまうが、人に頭をさげることなんてできなかったなと思う。部活に一心にうちこむというようなこともできなかったし。
本校の生徒諸君を見てるとほんとにえらいと思うことが多い。
どちらかといえば、われわれ世代の大人の方が、ものごとに純粋にとりくめなくなっている一方で、見栄みたいなものも捨てられず、誰かのためにやっているつもりでいながら、実は自己の満足が目標になってしまっている、なんてことがありがちではないか。
教員たるもの、そういうことだけはないように、自分を客観しながらやっていかないといけない。
また顧客満足が仕事の第一ではあるが、それだからこそ、ときに生徒さんや保護者の方と、時に対立してでも筋は通さないといけないこともあるという、なかなかタフなことも多いお仕事だなあなんてことも感じる夏の一日である。
結果はご存知かと思われるが、延長の末の惜敗。
生徒も教員もいい思いをさせてもらえたし、応援にいったわが部のみんなも、あついものを受け継ぐことができたと思う。
ご声援いただいたみなさんに感謝したい(って、おれ誰?)。
今日は学校見学会もあったので、学校に残った木管で少し基礎合奏。存在そのものは認識してもらわないとね。
学校にもどってきた応援組とA・Dともに一時間ぐらいずつ練習し、明日の準備、Tubaのレッスン、居残り組の送り。
上福岡におろした部長さんほか数名が、バスを降りたあと、ふかぶかとお辞儀をしてから駅に向かっていく様子を見てた人がいたら、この学校はなんとすばらしい高校生のいる学校だろう、だから野球も強いのかななんて思ったことであろう。
ピッチャーの高梨くんは、たまたま入学試験の面接にあたり、なんと目力の強い子だろう、なかなか本校にはいないタイプだなと感じた。その後はなんの接点もなかったから、なおその時の印象が強いのだが、なかなか本校には見かけなかったタイプだったからこそ、本校で本人もまわりもうまく化学変化を起こして成長できたのではないか。
おしくも今日敗れはしたものの、これで引退する野球部3年生たちは、自分たちのやってきたこと、ともに過ごしてきた時間に誇りをもっているのではないか。
わが部も、一日でもながく3年生たちといっしょに演奏する時間を長くしたいものだ。
最近つい、自分の高校生のときはと考えてしまうが、人に頭をさげることなんてできなかったなと思う。部活に一心にうちこむというようなこともできなかったし。
本校の生徒諸君を見てるとほんとにえらいと思うことが多い。
どちらかといえば、われわれ世代の大人の方が、ものごとに純粋にとりくめなくなっている一方で、見栄みたいなものも捨てられず、誰かのためにやっているつもりでいながら、実は自己の満足が目標になってしまっている、なんてことがありがちではないか。
教員たるもの、そういうことだけはないように、自分を客観しながらやっていかないといけない。
また顧客満足が仕事の第一ではあるが、それだからこそ、ときに生徒さんや保護者の方と、時に対立してでも筋は通さないといけないこともあるという、なかなかタフなことも多いお仕事だなあなんてことも感じる夏の一日である。