5日から授業開始。
漢文の例文に誰の名前を用いるかが、予習で一番時間がかかった。
3年前のプリントをそのまま使えばいいやと思ってたが、例文には上戸彩さん、上野樹里さんという名前がある。
個人的にまったく問題はないのだが、はたして今の高校一年生の心につきささるだろうか。
剛力彩芽ちゃんや桐谷美玲ちゃんだろうか。仲里依紗ちゃんも捨てがたいが、浅野なんとかというおっさんとつきあってるらしいではないか。負けてないと思うんだけどなあ。
「我行遊園地 … 我遊園地に行く」を「誰々と行く」の例文にしたとき、一番「その通り!」と実感してもらえるのは誰だろう。
考えに考えたすえ、「我与咲行遊園地 … 我、(武井)咲と遊園地に行く」「我為(吉高)由里子作炒飯 … 我、由里子の為に炒飯を作る」で行くことにした。
なんと的確な教材研究であろう。
週1の漢文をたくさん入れてもらったので、一年生11クラスのうち9クラスに入れた。
漢文の授業をしながら、同時に勉強の仕方全般や、知的になる方法をいつのかにか教えている授業をしようと心に決めた。
やり方を学ぶことが大事なんだろうと思う。
部活も同じだ。
吹奏楽部で楽器の吹き方を学び、音楽を学ぶのだが、それらを通して学び方を学ぶこと。
別の言い方をすれば、努力の仕方や人とのつきあい方を学ぶこと。
それ自体を学ぶことと、それを通して学ぶことの両面を両輪としていくこと。
がんばってがんばって、その結果うまくいくことも、うまくいかないことも全部含めて体にしみこむような経験をすること。
そういう経験をつむことが大事で、何を通しての「何」は、それこそなんでもいいのだが、学校という空間内で設定されるいろんな「何」は、実によくできていると思える。
教室に行くと、「もう授業やんの?」という顔の生徒さんがいないとは言えなかったが、こちらは中一ヶ月半ぐらいの休養十分なので、終わったあとぜーぜー言うくらいとばしてしまった。