学年だより「勇気・ガッツ・規律・夢」
音楽の道に「自分を賭ける」ことにしたものの、順風満帆な道のりとはならなかった。
2001年、自作の歌がCMソングに採用されると、それを機に故郷の日本でデビューを決意する。
足を棒にして都内のレコード会社を回り、売り込みをする。
しかし「うちは23歳までしかとらないから」「ハーフは売れない」と曲も聴かずに門前払いするプロデューサーもいた。
失いかけた情熱に火を点けたのが、2003年、日本武道館で行われた椎名林檎のコンサートだった。
観客の心をわしづかみにする椎名さんのステージを目にして、自分もいつかこの武道館のステージに立つと心に決める。
ボブの言葉に従って、自分の夢を紙に書き出してみた。
コンサートでもらった曲順表の用紙に、「目指せ! 武道館」と目標を書く。
「3年後に達成」と書き加えると、そこから必然的に今日やるべきことが見えてくる。
アンジェラさんは、曲を創り続けた。都内のライブハウスでかたっぱしからそれらを歌った。
夢に素直に立ち向かえなかった頃の葛藤、自分のコンプレックス、故郷への思い、受け入れられないもどかしさを感じながら夢をおいかけ続ける今の思い、それらを歌詞に託した。
その歌詞は結果として、自分で自分を励ますものになったと言う。
そんなライブが音楽プロデューサーの目にとまり、2005年秋、ついにメジャーデビューを果たす。
故郷への思いをこめたデビュー曲「HOME」は、60万枚を越えるヒットとなった。
それ以来、新曲を発表するたびのファンを増やし、2006年12月「3年後武道館のステージに立つ」という夢は叶えられた。
その日のライブでは、紙に夢を書き出して実現できたことを観客に涙ながらに語った。そして同じ方法でがんばってほしいと訴えかけ。
その日のために書いた新曲「サクラ色」で、ミュージシャンへの夢を抱きながらつらい日々を過ごしたワシントンの日々と、そこで見た桜の風景を歌いこんだ。
~ 否定の言葉に押しつぶされても 這い上がり戦い続けた
苦しくて目を閉じれば あの頃の自分がいる
サクラ色の私を忘れない ずっとずっとずっと ~
ただし、夢を紙に書いたからといって、それだけで夢が叶うものでないことは言うまでもない。
自分に与えられた課題を着実にこなしていくことが必要だ。
アンジェラさんはそれを「規律」という言葉で言い表していた。
「勇気・ガッツ」「規律」「夢」。.
曲を創るのは当然として、週に二冊は日本語の本を読む、わからない言葉は単語帳にしておぼえるといった地道な努力をアンジェラさんは自分に課し、こなしていった。
前号の繰り返しになるが、夢を叶えるのは、才能やセンスではない。
こうと決めたことを、本当にちゃんと毎日積み重ねていくかどうかだけなのだ。