今朝の大野勢太郎さんの番組で、犬飼基昭前サッカー協会会長のインタビューが流れていた。
「今の若い人達は、学生時代タテ社会でもまれてないから、社会に出てとまどう。社会に出れば厳然たるタテ社会なのだから、学生時代は体育会で鍛えられた方がいい。
世の中の問題に正解はない。学校で先生に正解を教えてもらうという勉強しかしてないから、自分で考えるということができない。知識ばかり詰め込んでいい大学に入っても、そのままではつかえない … 」
という主旨の話だったと思う。
「自分は学生時代にサッカー部で鍛えられてたので、三菱に入ったあともすぐ違和感なくやっていけた … 」というお話あたりで学校についた。
浦和レッズの黄金期を築き、Jリーグでもいろんな改革を行った犬飼さんだから、類い希な仕事能力や、人心掌握術をもった方なのだろうと推測する。
それほどの方でも、こと勉強に関しては、呑み屋さんのカウンターでどっかのおっちゃんが語っている話と同じだなと感じる。
「学校の勉強は知識の詰め込みにすぎない」から、社会では役に立たないと言う人はいる。
一面は真理だろう。
学校で学んだ知識そのものが、現実の娑婆で役立つことはない。
ていうか、直接現場で役立つことを教えるのが学校の役目ではない。
頭の使い方やら、頑張り方を教えて、未知の世界に立ったときどう対処すべきかを教えようとしているのだから。
それに「知識の詰め込み」だけでは、実は「いい大学」には入れないのだ。
「いい大学」を出た若者がもし「つかえない」のだとしたら、学校での過ごし方よりも、別種の理由が存在するのではないだろうか。
「タテ社会でもまれてない若者」なんてのもレッテル貼りに近くて、そういう言葉で分析してしまったから、ものの本質がみえなくなっている典型的な例だろう。
「ゆとり世代」だから、なんて言い方も同じ。
そこにいるA君になんらかの問題があったとしても、ゆとり教育を受けたことがその問題の原因であることなんて、ほとんどないと思う。
2年生版の「進路だより」で、和田秀樹氏と東大大学院在学中の木村美紀さんとの対談が載っていた。
~ 和田: よく世間では「勉強ばかりやっていると、つまらない人間になる」なんて勝手なことを言うんだけど、勉強してない人のほうがつまらないんじゃないかな。
木村:そうですね。勉強って結局、その人の引き出しを増やすことにつながるし、引き出し自体も広がるんですよね。 ~
学校の勉強をしてなくても、引き出しの多い人、引き出しの深い人は山ほどいる。
でも、学校の勉強にはあえて背を向けて遊んでいる方が引き出しが増えるということはあり得ない。
勉強ばかりやったからつまらない人間になるという例は実際にはないと思う。
A君がつまらないとしたら、たんに元々つまらない人間だったか、もしくは勉強が足りなかったか。そっちが現実ではないだろうか。