進路指導部のプリントに書いた文章。
努力の大切さを疑う人はおそらくそんなにはいない。
何かを手に入れるためには努力が必要であり、その何かが大きければ大きいほど、簡単に手に入るものではないと私たちは理解している。
ただ具体的にどうすることを努力と言うのかは、人それぞれで異なるかもしれない。
たとえば、「一生懸命がんばること」とか「心をこめてやること」といったふうに。
このように情緒的な言葉で表現した場合、「努力」の実像が明らかにならない面もあるので、思い切って単純化してみたら、どうだろう。
努力するとはどうすることか。それは「時間をかける」ことである、と。
勝間和代さんが、こう述べている。
~ 私は努力も、測定が可能だと思っています。どのように測定するかというと、とても簡単です。
「 努力=使った時間配分量 」
と考えればいいわけです。しかも、私たちには1日は24時間しかありませんから、多数のことに努力をし続けることば実は不可能で、せいぜい2つか3つのことに集中しなければ、努力の成果は出ないわけです。だからこそ、得意なことを見つけて、そこだけに時間を割り振るようにしないと、努力の効率が悪くなります。努力というのはすなわち、
「 あらゆる人に1日24時間平等に与えられた「時間」という資源を
どのくらい、集中して「配分」するか 」
という、「資源配分」の問題なのです。 (勝間和代『断る力』文春新書) ~
結果が出ない原因を、私たちは才能の不足や環境の不備に求めがちだ。
しかしよくよく実体を分析してみたならば、もしくは冷静に自分で振り返ってみたならば、時間配分が不足していた、つまり単に努力が不足してだけだと気付くのがほとんどではないだろうか。
週に一回休みのあるチームが、一年365日練習するチームに勝とうとするのは難しい。
毎日3時間3年間勉強し続けた子を、半年間の勉強で追い越すのは至難の業だ。
人に与えられた最も大切な資源である時間をどう配分するか。
それはその人の生き方とも言うべきものであり、配分した時間と結果との相関関係は、他の何よりも高いと考えるべきだろう。
能力もセンスもお金も環境もそろっていれば、それに越したことはない。
でもまずは「そのこと」に時間を配分すること、それが最初にやるべきことだ。
うん、いい文章だ。でも、そのまま自分にかえってくる中身だ。