2018年度から、「道徳」が特別教育活動ではなく一つの教科として扱われるようになる。
教科とする以上、評価はどうするのか、道徳に五段階の数字とかはさすがに点けられないにではないかという議論が行われた。児童、生徒一人一人の成長ぶりを記述式で評価するという方向性になったそうだ。
大変だなぁ。ただでさえ小中学校の先生は多忙だ。忙しすぎるから子どもと向き合う時間がない、なんとかしなければという意見は多くあるのと同時に、また忙しくさせる動きだ。
結果的には、評価のための文章例が示され、それにあてはめながら記述していくという形になるだろう。
文章例つくってみようかしら。
朝日新聞の社説に、「道徳は教科化すべきではない」とあった。
~ 子どもの内面が評価できるのか。多様な価値観を認める教科書が生まれるのか。いずれも疑問をぬぐえない。「道徳」はやはり教科にすべきではない。 ~
内面を評価するのは難しい。ていうか、本来はしちゃいけないと思う。
評価できるとすれば、内面ではなく「外面」だ。
心のなかに「思いやり」の気持ちがすっごくあっても、それが行動に移されなければ意味がない。
道徳の時間に、教材を読んだある生徒が感極まってさめざめと泣いたからといって、その子を道徳性豊かだと評価することはできない。
内面は「くそばばあ、うざい」と思っていても、階段で荷物を持ってあげる子は、道徳的には評価すべきだ。
授業への取り組み方では、その子の道徳性は評価できない。だからといって、その子をの行動をすべて観察することなど教員にはできない。
授業化には賛成だが、他の教科と同じ枠組みで評価を考えるのは反対だ。などとここに書いたところで、なんともできないのだが。
ていうか、文科省も、朝日新聞の人も、ちゃんと考えてるのかなあ。
だって、ついこの間、大学入試は点数だけではだめだ、人間性まで含めて総合的に見なければならないって言ってたではないか。
現状の教科についても、興味や関心という、きわめて主観的な評価がある。
道徳の評価が数値化できないなら、他の教科も数値化できないものまで点数にいれて、ちゃんとやらないと内申書悪くなるよと脅すのはやめてあげてほしい。