3学年だより「最後まで」
赤本の前書きは意外と読んでないような気がするので、目を通しておこう。
今年の受験生が、入試制度変更のうえにコロナ禍が重なるという未曾有の状況におかれたことを述べて、こう激励する。
~ とはいえ、その状況は、受験生みな同じですので、ただ嘆いてばかりいても仕方がありません。どんな状況においても、自らの意志で黙々と努力を重ねることができるか、日々ひとつひとつ目標に向かって着実に成長していけるかどうかが大きく結果を分けます。結局のところ、受験生の毎日は自分との闘いと言えます。置かれた環境下で自分自身を冷静に見つめることができてこそ、今までの自分を超える道が拓けます。
努力は必ず報われるとはかぎりません。しかし、努力なしに大きな結果が得られることもまたありません。偉大な細菌学者として知られる、野口英世は、「誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ」と語ったと言われています。天才とは、努力をせずとも才能に恵まれている人だと思われがちですが、天才と言われる人ほど、陰日向なく膨大な試行錯誤を続けており、その中で無数の失敗を重ねるうちに、それまで誰もたどりつかなかったような境地に達することができるのです。毎日努力していても、なかなか報われないことがあるかと思いますが、それはまだ機が熟していないだけかもしれません。回り道も時には必要ですし、その時は無駄のように思えた努力も、後になって実を結ぶこともあります。
勉強した内容のほとんどは、将来忘れてしまうものかもしれません。しかし、受験を経験することによって、自分の精神の根底に残っていく確信のようなものがきっとあるはずで、それはその後の人生を生きていく上で少なからぬ力になります。この大変な状況の中で、幾多の試練や難題を乗り越えて、栄冠を勝ち取られることを心より願っています。編者しるす (『2021年度版 大学入試シリーズ』教学社) ~
努力とは、捨てることでもある。Aについて努力するとは、Aについて時間をかけることだから、必然的にBやCをする時間はなくなる。
自分が何を選ぶかは、まかされている。
その人が何を捨てて、何を残せばいいのかについて、科学的に判断できる材料は限られている。
自分には向いてなさそうに思えたことでも、好きでのめりこんで取り組んでいるうちに、ひとかどの人間になれることも多々ある。
絶対こうしたらいいというのは、誰にもわからない。やってみないとわからないからだ。
だから選択にはリスクもある。
本当はもっと成功するかもしれないAを捨てて、Bを選んでいるかもしれないからだ。
しかしそれも証明することはできないから、自分が選んだ方で成功するまでやり続けることしか、選択の正しさを証明する手立てはない。
今週の国立二次は、多くのものを捨ててきた若者達の戦いだ。
たくさんのものを捨ててきた者のつどう場を大舞台という。
人を成長させる夢舞台だ。
赤本の前書きは意外と読んでないような気がするので、目を通しておこう。
今年の受験生が、入試制度変更のうえにコロナ禍が重なるという未曾有の状況におかれたことを述べて、こう激励する。
~ とはいえ、その状況は、受験生みな同じですので、ただ嘆いてばかりいても仕方がありません。どんな状況においても、自らの意志で黙々と努力を重ねることができるか、日々ひとつひとつ目標に向かって着実に成長していけるかどうかが大きく結果を分けます。結局のところ、受験生の毎日は自分との闘いと言えます。置かれた環境下で自分自身を冷静に見つめることができてこそ、今までの自分を超える道が拓けます。
努力は必ず報われるとはかぎりません。しかし、努力なしに大きな結果が得られることもまたありません。偉大な細菌学者として知られる、野口英世は、「誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ」と語ったと言われています。天才とは、努力をせずとも才能に恵まれている人だと思われがちですが、天才と言われる人ほど、陰日向なく膨大な試行錯誤を続けており、その中で無数の失敗を重ねるうちに、それまで誰もたどりつかなかったような境地に達することができるのです。毎日努力していても、なかなか報われないことがあるかと思いますが、それはまだ機が熟していないだけかもしれません。回り道も時には必要ですし、その時は無駄のように思えた努力も、後になって実を結ぶこともあります。
勉強した内容のほとんどは、将来忘れてしまうものかもしれません。しかし、受験を経験することによって、自分の精神の根底に残っていく確信のようなものがきっとあるはずで、それはその後の人生を生きていく上で少なからぬ力になります。この大変な状況の中で、幾多の試練や難題を乗り越えて、栄冠を勝ち取られることを心より願っています。編者しるす (『2021年度版 大学入試シリーズ』教学社) ~
努力とは、捨てることでもある。Aについて努力するとは、Aについて時間をかけることだから、必然的にBやCをする時間はなくなる。
自分が何を選ぶかは、まかされている。
その人が何を捨てて、何を残せばいいのかについて、科学的に判断できる材料は限られている。
自分には向いてなさそうに思えたことでも、好きでのめりこんで取り組んでいるうちに、ひとかどの人間になれることも多々ある。
絶対こうしたらいいというのは、誰にもわからない。やってみないとわからないからだ。
だから選択にはリスクもある。
本当はもっと成功するかもしれないAを捨てて、Bを選んでいるかもしれないからだ。
しかしそれも証明することはできないから、自分が選んだ方で成功するまでやり続けることしか、選択の正しさを証明する手立てはない。
今週の国立二次は、多くのものを捨ててきた若者達の戦いだ。
たくさんのものを捨ててきた者のつどう場を大舞台という。
人を成長させる夢舞台だ。