水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

自分編集力

2021年02月24日 | 学年だよりなど
3学年だより「自分編集力」


 AをとればBやCはできなくなる。
 有限の人生のなかで、AもBもCも全てにチャレンジすることは不可能だ。
 何を選ぶのか。たまたま最も適性の発揮できるAに出会えた人は幸せだが、みんながみんな、そうなれるとも限らない。
 自分にとって何がAであるかは、やってみないとわからないからだ。
 Aに一度のめりこんでみないと自分にどの程度の適性があるのかが見えてこないし、やってみると逆に、他のやりたいことが明確に見えてくる場合がある。
 何かを捨てて何かを残す。選ぶ段階では、その判断に科学的根拠はない。
 あくまでも自分の好みであり、自分で決められる。
 だから、当然リスクは伴う。
 リスクを含めて自分で選ばないといけないことが、自由であるということの本質なのだろう。
 広く見渡せば、そんな自由を与えられていない世界がいくらでもあることがわかる。
 ただただ自分の生命を維持するために生きざるを得ない、もしくは生命の維持さえ危ぶまれる状況におかれている人達がいる。
 自分でリスクをとって生きること、つまり人間らしく生きることが許されている私たちは、その恩恵をいかさないのはもったいないことだろう。
 てっとりばやいのは、AでもBでもCでも一つの何かに努力してみることだ。
 何を選び、どれほどの時間を費やしてみるのか。
 それが時間の編集であり、自分の人生を編集するということだ。
 私たちは、自分主演の作品をつくっている映画監督のようなものなのかもしれない。
 映画監督の最も大事な仕事は、何十時間、何百時間分の膨大なフィルムを削りに削って2時間に編集することにある。
 たくさんの撮れ高があっても、何か一つ足りない、こういうシーンがないとつながらない、主人公のキャラが立っていないと感じることもあるだろう。こんなつもりじゃなかった、とか。
 でも自分が監督、自分が主演だから、遠慮無く撮り直しできる。
 ここでもうちょっとがんばっておくと、かっこいいよねとか、せつないよねとか、想定しながら、新たに演じ直すことができる。
 だとしたら、仕事で大儲けしたとか、夢が叶って有名人になったとか、絶世の美女とつきあったとかの結果そのものより、そこに至るまで過程のシーンの方が魅力的だ。
 何大学に受かったかということ自体より、そこにいたるまでの過程がかっこいい。
 思うような結果が出ずに、苦しむ姿もいいかもしれない。
 仮に今うまくいってなくても、人前では強がりを言いながら一人静かに悲しみをこらえ、ひそかに心を燃やしてリベンジする様子を描けるなら、ほんとにかっこいい。
 自分編集力は誰にも認められている。他人に君の人生を編集する権利はない。
 この先、いい画(え)が撮れそうなイメージ湧きましたか。
コメント
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