水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

バージョンアップ

2021年12月10日 | 学年だよりなど
1学年だより「バージョンアップ」


 幼い頃、初めて自転車の乗れた日、補助輪がとれた日のことを覚えているだろうか。
 そんなこともあったけど、はっきりと記憶にはない……という人の方が多い気がする。
 しかし、みなさんは、今自転車に乗れる。
 冬休み中、たとえば年末から三が日にかけて学校が休みで、その期間自転車に乗らなかったら、乗れなくなるだろうか? おそらく大丈夫だ。では一ヶ月乗らなかったなら、1年なら、3年なら?
 かりに10年乗っていなくても、何かの機会にふとサドルにまたがれば、普通にこぎ出せるだろう。
 10年の月日を経た人間は、身体を形成する物質は分子レベルですべて入れ替わっている。
 物質的には、10年前の自分とは別人だ。しかし身体感覚は残っている。
 脳も同じだ。
 たとえば今暗記中の古文単語など、卒業して10年経ったら、忘れてしまうのではないか。
 しかし、覚えようとして、たとえば紙に書いて繰り返し見たとか、電車の中で覚えていたとか、その感覚は残る。
 勉強した内容そのものは忘れても(実際には失われるのではなく、脳の奥底に格納されるのだが)、勉強した身体感覚、脳を働かせた記憶が残る。
 その感覚があれば、新しく別種のものを覚えたり、学んだりすることができる。
 脳内データを増やすことは大事だが、その過程で脳のOSをバージョンアップしていくことこそが大切なのだ。それが今の勉強の、より上位の目的だ。
 高校時代に、受験勉強を通して、脳のOS自体を地道にバージョンアップしていけば、かりに第一志望合格が叶わなかったとしても、そのあとの人生でいくらでも挽回がきく。
 バージョンアップのための具体的作業として最も効果的なのは「ノートをとる」ことだ。
 話を聞いたり、本を読んだりして、新しい知識情報を得た時、手を動かして紙に書いていくことで脳が刺激される。


~ 学生の頃、ちゃんとノートを取り勉強していた人は当時、頭の中にノートを作ることができていたはずです。たとえ社会人になってもそれは自分の中に残っていて、ただ忘れてしまっているだけのように思います。.
 例えるなら、学生時代に野球をやっていた人が、大人になって野球をする機会がなくなったとしても投球フォームを覚えていることと同じです。野球部に所属していないから忘れてしまったかといえば、そんなことはない。体に染み付いたフォームはそのまま残っています。草野球でもなんでもいい、やってみればすぐに体が反応して、それなりにやれるものです。
 このように学生時代に勉強していた人は、たとえノートを取ることから離れていても、文章を書く土台はできています。 (ロザン『人生の悩みを解決する思考術 京大芸人ノート』宝島社) ~


 逆に言うと、今ノートをとる習慣のない人は、大人になる前に終わる。
 授業が始まった時にノートが出ていない状態は、ごはんを食べようとして、箸(はし)もフォークもないのと同じだ。
コメント
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