水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

見取り稽古(2)

2021年12月19日 | 学年だよりなど
1学年だより「見取り稽古(2)」


 学び方を「見取り稽古」できる人は自分で伸びていける。
 野球選手が、ヒットを打つ瞬間のイチロー選手の動きを見れば、もちろん勉強にはなるだろう。
 しかし、それだけで自分の技量を高められる人は少ないのではないだろうか。
 むしろ、イチロー選手が普段どんな練習をしているか、そのとき何を考えているか、打席に立つ前に何をしているかを見習った方が、自分にいかせることを見つけられるはずだ。
 自分で学べる人とは、学びたい対象の「瞬間」だけでなく「前後」を見ることができる人だ。
 勉強ができる友達がいれば、問題を解いている瞬間より、どんな勉強の仕方をしているのかを見たいものだ。
 「見取り稽古」ができない人は、最初から最後まで「手取り足取り」教えてもらたがる。
 そもそも学校とは、学校が必要なくなるために存在する。
 自動車学校は、運転できるようになったら卒業する。
 病院は、病気が治ったら退院したり通わなくてもよくなったりする。
 学校では、何かを身に付けること以上に、何かを身につけられるようになることが大事だ。
 勉強内容そのものよりも、学ぶこと自体が大事というのは、そういう意味だ。


~ 学生時代に勉強していた人は、たとえノートを取ることから離れていても、文章を書く土台はできています。これがまさに経験値です。今までノートを取ってきた量、文字を書いてきた量、活字を読んできた量の分だけ、それは確実に身についているのです。
 学校の勉強は社会に出てから役に立つのか、という疑問を学生時代に抱いたことがある人もいるのではないでしょうか。ちょっと強気な子なら、親や先生にその疑問をそのままストレートにぶつけたこともあるでしょう。
 学校で習う教科の中身は、確かに実社会に出てから役に立つことは少ないかもしれません。しかし、物事を調べて理解し、覚えるという勉強の基本は、社会に出てからも役立ちます。むしろ、社会に出たからこそ役立つと言っても過言ではありません。仕事だけでなく、人生の転機にどう進むのか考える、マンションを購入するかどうかを決断するなど、いろいろなシーンで役に立つのです。
 そういうことをきちんとやってきた人は、たとえノートを取らなくなっても、頭の中にはノートがあるのです。だから、それなりに仕事ができます。けれども、段々ノートを取らなくなっていくと、「頭の中のノート」を作る能力が衰えくるものなのです。
            (ロザン『人生の悩みを解決する思考術 京大芸人ノート』宝島社) ~


 目標にする人、尊敬する人の「結果」をまねようとするのではなく、その結果にいたる過程を学びたい。その人が、どんな練習をしているのか、どんな生活をしているのか、何を考えているのかを。すると、ただの生徒、受講者、ファンではなく、師匠と弟子の関係になれる。
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