水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

見取り稽古

2021年12月14日 | 学年だよりなど
1学年だより「見取り稽古」


 武道の世界に「見取り稽古」という言葉がある。
 実際に技を掛け合ったり、撃ち合ったりする「実地稽古」に対して、他人の技や鍛錬法を「見て」、自分を高めていく稽古法だ。
 自分がどうなりたいかを確かな形にするために、他者の姿を「見る」ことほど有効なものはない。
 見て、真似る。同じにできるようになるまで、繰り返す。
 繰り返し練習して、なかなか身に付かないもどかしさを感じたとき、また見る。
 すると、それまで見えていなかったことに気づく。
 実際に体を動かしていない時間も、稽古していることになる。
 やみくもな実地稽古だけでは到達できないレベルに導いてくれるのが「見取り稽古」だ。
 達人レベルになってくると、自然の何かを見たときに、ひらめくこともある。
 枯れ葉が落ちる様子を技に応用することを思いついたり、猫の身のこなしから動きのインスピレーションを得たりする。
 人も自然も、自分以外のすべてのものを、自分を高める材料にできるから、「見取り稽古」の概念は、私達を一日中「稽古」状態にすることを可能にする。
 スポーツや習い事の世界でも同じだろう。
 基礎的な技術は、基本の動きを徹底的に身体にたたき込んでいくことが必要だが、試合や本番のパフォーマンスを決めるのは、イメージをどれくらいもっているかだ。
 実際にそのプレーをしていない時間に、どれだけイメージを作っておくかが大事になる。
 勉強にも「実地稽古」と「見取り稽古」の考えをあてはめてみよう。
 自分でひたすら問題を解く、模試を受けてみるといった実地稽古をしているとき、やっている充実感は得られるだろうが、それだけだとやりっぱなしになってしまう。
 自分で自分を客観視する時間が必要だ。
 「反省」「ふりかえり」の実質は自己の客観化にある。
 そうすることで、問題意識がめばえる。
 ここがダメだったかも、こうすればよかったかな、といった仮説も生まれる。
 仮説をもって「他を見る」のが、最も有効な見取り稽古だ。
 授業中にノートを取るのは、見取り稽古の一種と考えられる。
 教えている人は、教える内容を内面にもち、それを話や文字や図で伝えようとする。
 みなさんも経験があるかもしれないが、人に何かを伝えようとするときに、一番頭を使う。
 漠然とした内容を、言葉や図に具現化するときに、人は最も知性を活性化させるからだ。
 教える人が、脳をフル回転させ板書していく状態を見ながら、ノートに書き取っていく。
 自分もその脳の使い方を真似ている状態になる。
 脳が刺激され、その瞬間に思いついたこと、ひらめいたことを書き留めていったノートは、自分の脳が外化した「分身」になる。
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