水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

文武両道

2008年12月08日 | 日々のあれこれ
 勝間和代さんの『起きていることはすべて正しい』に、こんな記述があった。

 「ディープスマート力とは、フレームワークを超えて、ある分野における長年の勘に基づき、時間をかけて私たちの中に暗黙知を溜めて、新しく洞察ができるようになることを言います。よく『文武両道』と言いますが、ディープスマート力とメンタル筋力は両立するのです。」

 『渋滞学』の西成活裕先生の新しい本『無駄学』に、こんな記述があった。

 「やはり自分で実践していく途中で、時間をかけて何か言葉では表せないコツをつかんでいくものなのだ。そして一皮何かの分野でこのコツをつかむことができると、他の分野でのコツが急に分かるようになってくることがある。」

 勉強と部活との両立に悩む部員は、その原因の第一に物理的時間に不足をあげる。
 しかし現実には、両立できないと言ってやめていった子の多くは、物理的な時間は相当手に入れたはずだが、それに見合うだけの結果が出ていない場合が多い。
 習って、練習して、身につけて、というプロセスは、部活でも勉強でも同じことで、文武両道というのは、物理的な時間を2倍必要とするものではないということを教えたいのだが、なかなか言葉にならない。
 たまたま読んでた本で、この答えに通じる記述を見かけたということは、神の啓示なのかも。
 
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携帯電話

2008年12月06日 | 日々のあれこれ
 大阪の橋下知事が、公立学校でのケータイ持ち込み禁止を宣言して話題になっているが、大阪では小学校でももっていってよかったのか、と驚く人の方が多かったんじゃないかな。
 埼玉の小・中学校はふつうは持って行ってはいけないよね。ちがいますか?
 こういう話題は案の定、絵に描いたような賛否両論になるものだが、必ずあるのが「一方的に禁止するのはおかしい」とか「親が判断すべきだ」とか「使い方を指導すべきだ」というような識者の意見だ。
 学校の現場がどんなか見てみろよ、とは言わないが、想像力のかけらはもってほしいと思う。
 知事がそんなことを宣言しなければならない状況になっているのだ。
 いろんなニュースで伝わってくる情報から判断すると、大阪の公教育は壊滅状態に近い状態になっている感覚がある。
 さしあたり、メディアでケータイうんぬん語りたい人は、日垣隆氏の少年犯罪に関する著作くらいは目を通してからものを言ってほしいものだ。
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ハッピーフライト

2008年12月05日 | 日々のあれこれ
 南古谷にできた新しい映画観で「ハッピーフライト」を観る。
 綾瀬はるかちゃんを観れればいいやぐらいの気持ちだったが、そこは成長を描かせたら天下一品の矢口監督だ。きっちりグッジョブだった。
 綾瀬はるかちゃんを魅せる映画ではなく、田辺誠一扮するパイロットをはじめ、何人かの登場人物がいくつかのエピソードで成長していく様子が描かれる。
 そして、それらの成長に関わるのが、いかにもプロのお目付役的な人たち。
 田辺誠一を指導する時任三郎(これが実にかっこよかった)。
 CAの綾瀬はるかや吹石一恵を指導するチーフパーサーの寺島しのぶ。
 役者さんは知らないけど、整備の若者を指導する先輩。
 どの人も最初は、指導される側にとって、その厳しさにおいて煙たい存在として描かれる。
 若者側にとっては、ただ理不尽に厳しいだけのようにうつる。
 でも事件に直面したときに、助けてもらい、プロのすごさをみせつけられ、自分に欠けていたものを知っていく。
 パイロットでいえば、なぜ普段から帽子をちゃんとかぶっていないといけないかの意味にも気づいたりする。
 商売がら、教えるってこういうことなのかな、などと考えていた。
 小さく笑えたのは、バードさんとよばれる、飛行機に鳥が接触しないように監視するプロと、「愛鳥団体」なるはちまきを巻いた人たちとやりとりだ。
 成長していく各登場人物群に対して、この愛鳥団体の人は、いくつになっても成長できない大人として描かれている(と思う)。
 「~反対」とか「~の権利を私たちの手に」みたいな市民グループに対する視線、もう少し世間を知ろうよ的な矢吹監督の視点をみたと言うのはうがちすぎかな。
 で、観て気分がよくなる映画というのは、成長がモチーフになっているのだなと思った。「psアイラブユー」しかり「おくりびと」しかり。 いっきに飛躍すると、仕事も恋愛も肉親の死も、ぜんぶ人の成長のための手段ではないかと思う。
 教員というのは、成長のきっかけというか、触媒のようなものとして存在すべきだと考えればいいのかもしれない。
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漢文の授業

2008年12月04日 | 日々のあれこれ
 県北のある公立高校で行われた研究協議会に参加させていただいた。
 全体会で、その学校全体の進学指導の取り組みを聞いた後、国語の授業検討会。
 漢文の演習授業である。進学校なので、3年の最終段階におけるセンター試験型式問題の演習だった。
 授業後の検討会でも話させてもらったが、予備校のような授業だと感じた(もちろん、非難する意味ではなく)。
 てっきり公立は、進学校とはいえども正規の授業の中では、じっくりと教科書的教材にとりくんでおられるのであろうと思っていたが、あまかった。
 公立高校といえども、趣味的に文学を教えられる方は、なかなか存在しえなくなってきているのだろうか。
 昔はそういう先生がたくさんいらっしゃって、そしてそれが決して受験的な力の養成と実は相反してなかったはずだが、今は世情が許さないかもしれない。
 埼玉の公立超進学校は伝統校ばかりで、受験的には生徒まかせというイメージが長くあった。
 公立とちがって細かく進路指導しますよ、というのが、私立高校のひとつのセールスポイントであったが、最近はきびしい。
 ただし、公立の場合、イニシアチブをとる先生の異動によって、学校の状況が大きく変わるのはたしかなので、そのへんがつけこむ隙にになるだろうか(って、どういう立場で言ってるんだろう)。
 授業を担当したS先生の授業は、漢文を読む際に、SVO、前置詞、助動詞といった中国語としての文法概念をきちんとおさえて読もうとしておられ、これは新しい漢文指導法だ。
 「有」も「無」も「不」も「以」も「雖」も、ぜんぶ「返読文字」とまとめてしまって、「こういう字は必ず下からもどって読むのです、おぼえなさい」というのが従来の漢文指導法だ。
 それに対し、文法用語を利用しながら語学的に構造を把握していくやりかたは、コンサバチブな先生には受け入れがたいものであろう。
 S先生の授業に対するいろんな先生方のお話を聞きながら、骨のずいまでコンサバな方、理解してない方などいろいろで、きっとS先生も苦労もしくは孤立されていることが予想された。わたしも微妙に同じ状況にあるのでよくわかる。
 授業検討会後、吹奏楽部の練習を見させてもらった。Aの県常連校は、今の時期にもうこんなサウンドしているのかとおどろく。
 またあせってきた。いや、あせってもしょうがない。地道に一歩ずつだ。

 

 
  


 


 
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中央大学演奏会

2008年12月02日 | 日々のあれこれ
 日曜に中央大学吹奏楽部演奏会にでかけた。
 すみだトリフォニーホールは2回目。JR錦糸町駅に降りるのは始めてなので(たぶん)、少しフラっとしてみたが、なかなかアダルトな町だ。
 駅付近の猥雑さとはうらはらに、ホールはおどろくほどきれいで、音響もすばらしい。3F席の後ろで、こんなにきれいに聞こえるとは。ひょっとしてクラシックなら多少物足りなくなる位置かもしれないが、吹奏楽には実にほどよい響きだった。
 開演前に何人ものOBにであう。開演一曲目で、かやま君がこの立派なホールのステージに立つ。ウォルトンの王冠。いきなりうるうるしてしまったおれは、どんだけ父親にモードになっているのかと思う。休憩時にはまた他のOBと話す。
 みんな元気そうでよかった。おれも元気です。
 かやま君、ふじの君おつかれさま。
 ふじの君、アンコンをなつかしがってないで、教えにきてくれ(笑)

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