戦国関東において、争奪戦となった山城といえば、佐野氏が守る唐沢山城(栃木県佐野市)。
関東管領として関東を治めたい上杉謙信が幾度も攻略したが、結局は北条方に落ちた。
関東に織豊系の高石垣が残る珍しい山城でもあり(上写真)、昨年国指定史跡になった。
城のある佐野市は、同じ両毛線沿いの足利や栃木に比べるとマイナーだったが、売り出しに成功して、むしろ最近では一番耳にするようになった。どうせなら町も楽しみたい。
東京からだと東武鉄道で、館林で乗り換えて佐野市街を越えて「田沼」で降りる(北千住から1000円未満)。
ここが城の正面口で、麓には屋敷跡がある。
登り口にある「県立田沼高校」は、今年3月で廃校となり、同窓会による感謝の幕が張ってある。
我が高校と同じか。
卒業生の親子らしき2人が閉じられた校門から中を見ていた。
車道から登山道に入り、深い竪堀を右に見ながら登る。
山上に出ると石垣の升形虎口があり、ここから曲輪が続く。
山の上なのに枯れない井戸があるのも、優れた山城の証拠。
二の丸・本丸には関東では珍しい織豊系の高石垣がしっかり積まれている(上写真)。
本丸には唐沢山神社の社殿(明治になってからの創建)があり、最初にここに城を築いたと伝説のある藤原秀郷を祀ってある(後の城主佐野氏は秀郷末裔)。
山の上で気分が良く、もっとゆっくりしたいのだが、電車が1時間に1本なので、時間を見計らって急いで下山する。
田沼駅に戻って駅付近を歩いたら、「日本列島中心」の石碑があった。
ここは北海道~九州と本州の両側からの中央部に位置するのだという。
電車で佐野に戻り、駅北側の佐野城跡を見る。
ここは戦国時代の唐沢山城を廃城にして平和な江戸時代に街中に移った城。
城の目的が異なるわけだ。
佐野市郷土博物館まで20分歩く(バスの便がない)。
ちょうど唐沢山城跡国指定史跡記念として「上杉謙信がやってきた」展をやっている。
それと郷土の英雄・田中正造の展示も。
ただ唐沢山城については、神社の社務所で買った『戦国唐沢山城』(出居 博)が分かりやすい。
ここまで来たからついでに、佐野厄除け大師(関東三大師の1つとして売出しに成功)に立寄り、
電車の時刻に間に合わせるため、地元名物「佐野ラーメン」も「イモフライ」も食べずに「佐野市」駅に急いだ。
メインの山城は堪能したが、佐野市内は足早に通りすぎ、”味わえなかった”のが心残り。
でも、もう行く機会がないかな…。