戦国の関東をほぼ掌中にした小田原北条氏が誇る名城とえいば、本拠地小田原城に次ぐのが、都下八王子市にある八王子城。
ここは四代当主氏政の弟氏照の居城で、(前回訪れた)滝山城を捨て、新たに築城したものだ。
標高460mの深沢山の麓に広い御守殿を構え、山全体、いや山をかこむ周囲一帯が山城を形成している(小田原城に匹敵する広さ)。
戦国末期というか、戦国が終了する時の城でもあったので、かなりの豪勢な造りだったようだが、いかんせん豊臣軍(前田利家・上杉景勝)の攻撃で落城炎上したため、しばらくは自然の開析にまかせられていたが、最近になって復元が進んでいるらしい。
標高的に山歩きにもなるので、リュックにストックという登山装備で出かけた
(カメラを入れ忘れてしまったので、撮影はiPadminiで代用)。
高尾駅でバスに乗り、「霊園前」で降り、ありし日の城下町の一本道を歩く。
家臣が居住していた根古屋地区からは目ざす城山が見える(上写真)。
途中氏照の墓(実際には元禄時代に建てられた慰霊塔)に立寄り、最近できたガイダンス施設でトイレを借りる。
まずは山麓の川沿いの御守殿跡を見る。
ここは城主氏照の居館跡で、会所や庭園も発掘され、会所の平面が復元されている。
また石段や腰石垣も復元され(右写真)、 復元にもうひと頑張りすれば立派な観光名所になりそう。
いよいよ山に登る。
馬蹄段という段々になっている曲輪に沿って登り、やがて八王子神社(八王子の地名の元) が現れる。
このあたりは広い曲輪が連なっている。
そして裏の山頂が本丸(実はこの山頂に立つのは2回目)。
少し下った所に「坎井」(かんせい)という井戸があり、手押しポンプがついているので、ありがたくいただく(やはりここも山上に枯れない井戸がある)。
本丸背後の本丸より標高が高い詰の城まで行き、引き返す。
といっても往路を戻るのはつまらない。
登城路はガイダンスの地図では1本しか記されていないが、持ってきた冊子『八王子城』(峰岸純夫他編 揺籃社)によれば、あと3本ある。
そのうちの1つ、心源院ルート(北東尾根)は分岐に指導標があったので、それを下ることにする。
踏跡は細いが、標識は完璧で迷うことはない。
途中、氏照墓への分岐を見送り(そちらに下ってもよい)、大六天という小ピークで一休み。
この道の所々に材木を切って腰かけが作られているが、ここは夫婦桜のうちの一本が勝手に切られ、ベンチの材料にされようとしているらしく、切られた桜に十字架が、そして手書きによる怒りと悲しみが吐露された看板が立て掛けてあった(切る木に関して行き違いがあったようだ)。
さらに下ると、麓がよく見える向山北砦に出る。
北からの侵入に対しての頼もしい砦(のはずが…)。
秋葉神社を抜けて終点の心源院の広い境内に下り立つ。
心源院は、大石氏が開基した曹洞宗の寺で八王子城より古い。山号は「深澤山」。
ここからは平地でバス停に向う。
トンネルを抜けた所にバス停があるが、バスの便が多いのを確認して、バスに乗らずトンネルの上に上る。
そこは段差のある山になっているが、山城巡りに慣れた目には、腰曲輪であることがわかる。
そう、ここは小田野城跡という八王子城の出城なのだ。
小田野という家臣の屋敷跡という言い伝えがあるが、空堀や曲輪があり”城”といえる。
ただしここの解説版は城跡を出た向かい側の公園にある(地元の人に教わった)。
という具合に、このルートは出城巡りができるのが利点。
往路を戻るより山城歩きとしてはずっと充実。
山の下りでいつも痛む左膝靭帯もなんともなかった。