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山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

易の心理学3:易は元型システム

2022年09月20日 | 心理学

占筮をして卦を得たら、『易経』を開いて、その卦に対応する箇所の説明(卦辞と爻辞)とその注釈(彖伝、象伝)を読む。

ただし、例えば「乾為天」の卦(6爻とも陽)の爻辞には竜がどうしたこうしたと書いてある。
別に竜について占ったわけではないのに…。
これをどう捉えればいいか。
これが今回のテーマ。

さて、前回のユング理論の「集合的無意識」(サイコイドを含む)の話の続きから始める。
ユングによれば、集合的無意識を構成しているのは、具体的事物の”本質”であるという。
それは事物を理解する枠組みであり、意識が未発達だった古代人は、集合的無意識によって事象を理解したようだ→意識は3000年前に誕生した?
この集合的無意識を構成するそれをユングは「元型」(アーキタイプ)と命名した。

元型は、意識においては特定のイメージとして表象される(ただし意識はその正体を知らない)。
古代人がよくイメージした元型としては、シャドウ(生きられなかったもう別の自己。自己の暗黒面)アニマ/アニムス(自己と統合されるべき内なる異性。男性内の女性がアニマ、女性内の男性がアニムス)老賢者(内なる知恵)グレートマザー(母なるもの:生産と保護、束縛と捕食)などがあり、これら元型は各地の神話の登場人物としてイメージされ、物語化されている(現代の神話「スターウォーズ」においても)。

そして易を「事物の本質を象徴的に呈示する元型イメージによってのみ構成されたシステム」であると言ったのは思想家(ユング心理学者ではない)の井筒俊彦である。
井筒によれば、八卦という状態の基本型はまさに元型であり、64卦は元型の組み合わせということになる。

集合的無意識は(意識のような)言語を持たず、シンボル(象徴)とそのイメージで構成される。
シンボルとは元型のメタファー(隠喩:比喩と明示せずに言い換える)として可視化されたものである。

なんと、易はユングに言われずとも、自らのシステムをシンボルとイメージからなっていることを表白している。
すなわち「易とは象(しょう)なり。象とは像なり」(繋辞下伝)と。

象はシンボルであり、像はイメージである(三浦)。
なので「易はとシンボルであり、シンボルとはイメージだ」と言っていることになる。

易における象(シンボル)は、陰陽の組み合わせ、すなわち卦(=元型)をいう。
そして像(イメージ)は、象(卦)の具体的な形象をいう。
例えば、「乾為天」という象(シンボル)においては、竜が像(イメージ)となっている。
※:実は竜は元々は天(乾)の気のイメージである。鯉が天に上がったのが竜である。

易占は、偶然に出た卦(象)と、占的となる偶然の事象との間に”意味ある一致(共時性)”を得たものである。

ということは、卦として説明されている象および像は、占的となる事象のメタファー、すなわち卦と占的の二つの偶然の一致する部分(共通性)の表現である。

ということなので、「乾為天」と出たら、そこで言われている”竜”は、占的(占いの対象)の何をイメージしたものかを読み解かなくてはならない(当然、竜が意味するものは個々の占的によって異なる)。
それが占者の仕事であり、能力を要する部分だ。

実用的に言えば、そのためには筮前の審事の段階で占的についての情報を幅広く収集しておいた方がよい。
また像が暗示するものを柔軟にとらえる連想力(一見無関係のものの間に共通点を見出す能力)が必要である。

ユング系の心理学者である定方は、占者は易の啓示を読み解くシャーマンとしての役割であるという。
ただ、そのための特別な修行は必要ないというが、私から見れば、自分のサイコイド(内気)による(外気との)共時性を引き出すパワーは必要と思えるので、占者の内気のパワーアップはやっておいて損はないと思っている→サイキック・パワー講座1

参考文献
三浦國雄 『易経』 東洋書院(易学研究側からユング理論を評価、また「易の元型イマージュ」(井筒俊彦)所収 )
定方昭夫 『「易」心理学入門—易・ユング・共時性—』 たにぐち書店

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