1月はもともと31日あるわけだが、それにしても他の31日ある月よりも長く感じる。
子どもの時からずっとそう感じている。
それは”一年の計”たる正月という濃いイベントが月始めにあり、それが済むと1月は気分的に終了なので、残り25日ほどはただただ残余にすぎないためであろうか。
ところが、続く2月も、たった28日しかないのに、長く感じる。
節分はたいしたイベントではない。
なので、1月で使った理屈は当てはまらない。
つまり、真の理由は1月と2月に共通する部分にあるはず。
冬(寒い、夜が長い)が時間を長く感じさせるのだろうか。
いやむしろ、年度末の作業が始まる、けっこう忙しい時期だからかもしれない。
だが普通は、忙しいと時間が短く感じられるはず。
といってもそれは時を忘れるために”現在”(時・分)が素通りされる感覚であり、
業務が詰っていると、これからやる事(未来)・すでにやり終えた事(過去)が月・日レベルでぎっしり蓄積されている。
生きられた時間(時分)は短くても、展望された時間(月日)が長くなる。
1月の終わりに「1月は長かった」と感じるのも、月始めの”元日”がはるか彼方にあるように、時間を展望した結果だからかもしれない。