今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

システム3からシステム4へ

2017年11月04日 | パワー・スピリチュアル

瞑想がまっとうな心理的トレーニングとして心理学・精神医学の世界に受け入れられたのは、「マインドフルネス」が認知行動療法に取り入れられ、科学的なエビデンスや神経科学的実証研究においてその価値がみとめられたからである(瞑想は脳の構造的変化をもたらす)。

マインドフルネスは、私の「四重過程モデル」※におけるシステム3という心の4番目のサブシステム(システム0が起点だから)の発現に相当する。

そもそも既存の心理学が「二重過程モデル」で充足しているように、通常の活動においては、システム1,システム2の2つで足り、日常では敷居の高い(といってもリラックスして瞑想するだけだが)システム3を必要とはしない。

だがいったん、より高次の心理システムへの扉が開かれると、マズローの「自己実現への欲求」の目覚めに等しく、社会的適応の先を行く、その方向への志向が追究されることになる。
四重過程モデルを提唱した私自身がそうで、最近は自らの四重過程すなわち、システム0〜システム3の枠を超えた5番目のサブシステムである「システム4」の開発を志向している。

ただ、システム4は、科学的心理学の枠を超えてしまうので、すなわち科学的エビデンスや神経科学的実証性を得ていないので、心理学徒としては安易には語れないのだが、かつてのシステム3がそうであったように、ここにも科学的アプローチが延びることを期待している(私自身、客観的計測を試みている)。

※なので「四重過程モデル」(システム0〜システム3)を今後は「多重過程モデル」(システム0〜システム4〜)に改名する。

ではそのシステム4とは何か。
システム3が、既存のシステム1・2が無視した”純粋経験”を経験する、高度な受動性(気づき)を追究した心の超越(非日常)的状態であるのに対し、システム4はその方向性を反転して、潜在的能動性にもとずく超越的状態を作動させることである。
システム3で一旦否定された、システム2的な過剰な意味づけ(誤った信念)を反転し、それを「思い込み」の力として積極的に用いる。
もちろん、システム4はシステム3を前提としているため、日常的な誤った思い込み(バイアス、ヒューリスティックス)からは自由になっていることが出発点にある。
システム4はシステム1・2の日常レベルとは異なる次元の新たな”思念の力”を能動的に発揮する状態である。
その思念の力をすばりスピリチュアルな「サイコパワー」と言ってしまおう(したがって、システム3までは本ブログ記事のカテゴリーを「心理学」にしていたが、システム4の各論については「パワー・気」に入れる)。

私は現在、マインドフルネス瞑想よりも、もっぱら「」のトレーニングにとりかかっている。
後者の瞑想は、マインドフルネスのようなじっと坐って「受」に気づく静的な瞑想ではなく、いわばヨーガと同じく動的瞑想で、気を意識的に体内で巡らせ、あるいは身体動作を使って外気と内気との交流をするものである。
の感覚は受動的にやってくる(づく)のではなく、能動的に「そのになる」ことが必要である。
まさにこの点がシステム3でのベクトルを反転させることである。

システム3が仏教理論をベースにしているように、システム4もヨーガなどのインド思想をベースにしてもよいのだが、私は中国の気の理論をベースにしている。
気の理論は、人体においても経絡や経穴(ツボ)の分布など視点が詳細だし(チャクラも気の理論で説明できる)、外気についても説明原理があるので応用性が高い。
たとえばシステム3では仏教の第一原理である「諸行無常」観を得ることが、定常性に執着するシステム1・2の誤った信念を超越するために、目標となる。
それに対し、システム4では、システム3の結論である「事象は変化してやまない」を前提とし、では”どう変化するのか”を問題にする。
その変化理論が「易」である。
易は未来の特定点の状態を予言するものではなく、やまない変化の様態とそれに応じた対処法を示すもので、このダイナミズムを理解しないと、単なる「おみくじ」の類いだと誤解してしまう。

第二原理「諸法無我」も同様で、システム3で煩悩に満ちた個我への執着を解いたら、システム4では自我という現象を可能にするより根源的な”我”の作動を目ざす。
仏教でいえば、システム3はテーラワーダ仏教が中心的役割を果たすが、システム4だと大乗的な仏教が関連するだろう(ただし、無我論と霊魂論のせめぎ合いが発生する)。

だが、ここで無批判につき進まない。
あくまでも心理”学”として、人間の心のメカニズムを解明し、その機能を十全に実現するのが私の目的である。
科学的テストを受けていない既存のスピリチュアルな言説(易理論や仏教理論を含む)を無批判に採用するのではない。
それらの多くは、システム2による、ご都合よく理屈を辻褄合わせた「妄想」にすぎないものが多い。
ということは、それらを識別する眼がまずは必要であり、それにはシステム2の妄想力に距離をおけるシステム3の十全な作動(八正道の「正見」)が必要である。

たとえば、3千年の歴史をもつ易理論も現代化する必要がある。
陰陽の原理を現代物理学(たとえば電磁気力)と情報理論で再構成し、2千年前に結合された迷信的五行思想を排除すべきである。
現在最大6ビットである陰陽のビット数をさらに増やせば、説明原理は2の乗数に応じて詳細化できるので、素朴な物質論である五行思想は不要となる(「卦」の3ビットで、天沢火雷風水山地の8要素(八卦)になり、この時点で木火土金水の五行を凌駕している)。 

世の多くの人は、システム3に達していない状態で、すなわちシステム2の思考が心の最高レベルの状態でスピリチュアルな世界に接するため、システム3を超越した「システム4」と、システム3によって超越される「妄想的システム2」との区別がつかない(後者を前者と勘違いして走ってしまう)。
ということは、あまり性急に先走らず、まずはシステム2自体の常識的論理力を高め(このレベルで多くのインチキを見抜ける)、そしてシステム2的言語世界に距離をおくシステム3(マインドフルネス)をじっくり体験することが必要である。

システム4はシステム3の実現によって初めて可能となり、そのシステム3はシステム2の反省的思考によって創発されるのだから。

システム3の能力は人間なら全員持っているのは確かだし(ただしほとんどの人が実現していないのも確か)、
カエル館での経験から、少なくとも半数の人に、システム4の能力があると思われる。



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