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醜い日本の私 中島義道 

川端康成がノーベル賞授賞式で行った記念講演「美しい日本の私」をもじった題名の本書だが、今まで読んだ著者の本の中では、書かれた目的が最もよく判る本だ。日本人の美意識について、「きれいなものを愛でる鋭利な感覚」と「不快なものをやり過ごす鈍感さ」のアンバランスを厳しく追求するのだが、本書では、著者が醜いと感じる「風景写真」がかなりの数、掲載されており、著者の言わんとすることは、他の本よりも直截的で判りやすい。そのせいかどうか判らないが、著者の言い回しが幾分おとなしいような気がする。
 風景についていえば、私自身、著者とは違う意味でマイノリティなのかもしれないと思うことがある。昔からそうなのだが、美しい風景とか景観、きれいな花などにほとんど興味が沸かないのだ。景色の良し悪しや花のきれいさは人並みに理解できていると思っているし、そういうものを見ていて悪い気持ちはしない。ただ、良い景観とかきれいな花などというのは、興味の対象としての順位はかなり下の方で、それに熱心な人々の気持ちがよく判らない。第一、ある景色に感動するかどうかはその時のシチュエーションの要素が大きいのではないか。世界的に有名な絶景でも、人ごみのなかで人の頭越しに見たのではあまり感動しないが、ありふれた風景でも自分ひとりが独占しているような場合には妙に感動したりする。「景観とか花見とかに全く関心がない」ということはあまり周囲には言わない。著者の言う「感受性のファシズム」という考え方がよく判るし、そのなかで何を言ってもなかなか判って貰えないという悩みもよく判る気がする。(「醜い日本の私」中島義道、新潮文庫)
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