玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

二大政党

2013-07-22 21:03:10 | 政治

日本には二大政党は合わないのかもしれない。しかし、戦前は政友会と民政党という二大政党だった。政友会は地方の地主層を支持基盤とし、民政党は都市住民が支持層であった。両政党は政権が倒れると次は野党に政権が移るという“憲政の常道”を主張し、政権に就くや、内務省(=警察)を押さえて、選挙の時には相手陣営を徹底して選挙妨害をして勝利するという筋書きを立てていた。そこで、国会の論戦は相手の足の引っ張り合いをもっぱらしてきた。それが典型であったのが、1930年4月、直近選挙に敗れた政友会が民政党政権のロンドン軍縮条約に反対し、『統帥権干犯』の論理を持ち出した。結局、それが発展をして、魔法の杖のように憲法解釈を固定化し、物言わぬ大元帥閣下(=天皇)の直下の参謀本部という議会の関与できない政治権力形態を造り上げることになり、それを言い出した政党は、今度は軍部官僚に首根っこを抑えられて、ずるずると軍国主義化、戦争主義化にはまり込んでいった。

その時、『統帥権干犯』を叫んで、民生党の浜口雄幸内閣の国際協調外交を非難した政友会の犬養毅は、その2年後、皮肉なことに自分が首相になった時に、5・15事件で、海軍青年将校によって、真昼間に首相官邸で暗殺されてしまう。軍部の満州事変以降の狂気の戦争拡大主義は、国民総動員体制による、戦争のための兵舎国家を求め、頭脳集団である革新官僚とも手を結んでいくが、その代表格が今の安倍首相の祖父である岸信介であった。彼が、何故憲法改正を自らの政治目標とするのかは、祖父が戦後に首相になっても、果たせなかった憲法改正の遺志を継いでいるとしか考えられない。三代にわたる一族の家訓で、再び天皇を元首にするという後ろ向きの憲法を作ることを許す国民がいるとしたら、天皇に捧げてしまった息子の無駄死にを、靖国に祀り上げることによってしか、心の解決をできなかった何百万という息子を失った母親たちの悲しみをどう考えているのだろうか。例大祭に閣僚が参拝に行けば済まされるのか。

イギリスやアメリカが二大政党だからと言っても、日本は過去に二大政党で失敗しているのだ。今回の参議院選挙を見て思った。日本は自民党一党だけがあって、あとは非自民党があるだけだ。民主党という政党などありはしない。ただの寄せ集め党でしかない。今後、もしみんなの党と維新の会が一緒になっても、また、第二の寄せ集め党を作るだけであろう。

私は自民党が政友会に似ているようで嫌いだ。そして、あまりに“日本人の利”に添った政党であるから、信用していない。この利に聡い政党を作ったのも、育てたのも、まさに日本人である我々なのだ。お祭りのときの町内会を見てごらん。議員が必ず挨拶に来て、金一封を出している。それが当然で、町内会の毎年の予算書にも入っていることがある。病気になれば、議員に良い病院を紹介させ、介護施設の順番を早めるのも、保育園の順番をとるのも、みんな議員に頼む。そういう風に議員を使うのが当然だと思っている国民がまだ多いのである。それは選挙で投票してあげたお返しだと思っている人もいるのかもしれない。そういう土壌がなくなれば、自民党もよくなるだろうし、信義のある立派な政党も生まれるかもしれない。せめても、そう思いたい、空しい参議院の選挙結果であった。

コメント
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