ずっと昔、学生のころかな。何故、明治維新と言い、明治革命と言わないのか不思議に思ったものだ。明治維新は建武の中興と似ている。武家政治から天皇親政への政治体制の回帰という面で、そう思う。そう思わせないために、「維れ新たなり」としたのだろう。確かに、単純に天皇親政に変えたのではなく、その政治機構の担い手が変わった。1867(慶応3)年10月の大政奉還から12月の王政復古までの2か月の間に、公家は単純に公家政治の復活だと思っただろうし、公武合体派の雄藩諸侯はやっと諸侯政治が始まったと勘違いしただろう。それが簡単に騙されて、突き落とされていく。王政復古という名附けに、これまた騙されるが、その実態は、下級貴族と下級武士の政権奪取、つまりクーデターであった。しかし、クーデターはそこで終わることなく、勅令という絶対権力によって、徐々に、ゆっくりと、着実に変革が行われた。まずは、版籍奉還、廃藩置県へと、幕藩体制という封建分国領有体制を崩壊させていく。その間、暴動を防ぐために、士族から武力を取り上げるための徴兵令も実施された。振り返れば、幕末から明治の黎明期までは、暗殺、騙し、欺きの連続であった。
今の世にあっても、どれだけ騙されることが多い事か。特に最近は目に余る。昨年の食品偽装に始まり、偽作曲家、偽調査捕鯨、まだ解らないが論文偽装、昨今は、政治活動費の領収書偽造と、世情目まぐるしく人間の情けない姑息な嘘が目の前をどんどん通り過ぎていくが、その奥でもっとも悪辣な嘘がスルリと通り抜けていないだろうか。