先日、高校のクラス会に行った。あの会というのは、当たり前だが、全く年齢が同じと云うのが悲しい。友の老いは鏡のように自分の老いのことであり、今や女性はほとんど異性という匂いがしなくなっている。あまり行く意味も無いのだが、懐かしさに負けて行ってしまう。二次会でお坊ちゃんグループの高校時代からの溜り場だという飲み屋に案内されたが、ふと「こいつら、親が金持ちだったから、背伸びして、こんな飲み屋に行っていたのか」と非難を込めて、そいつらの顔をマジマジと眺めた。ふと店内を見回すと、どうもありふれた七十年代風の店だね。高校の時は新宿で「木馬」に行き、わかりもしないジャズを聴いて、大学に行ったら、渋谷の「時間割」にお茶してと云う、そのあたりまえの懐かしい造りだね。まだこういう店って残っていたんだ。配られたクラス会名簿を老眼越しに捜すと、やはりKは不明扱いだ。鬼籍に入った奴も何人かいる。来年は自分も入るのか、冷たい風が首の後ろをスゥーと通る。今月末は中学のクラス会もある。これが、この世代が生きてきた時間を相互に認識し合う儀式なのかな。でも、この数時間が楽しいのだから、多少の意味があるのか。
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