近代国家における法による支配が、独りの理屈を軽視する首長により、専制国家に移行しようとしている。ともかくも、戦後70年平和と自由を守ってきた日本という国に泥をぬるような行為だが、それをしたのは、最近国民が選んだ自民党であり、その党が選んだ首長であるのだから、開いた口が塞がらない。ましてや、そこまでの道のりでは、御都合主義者の彼らは遵法であり、憲法のままに政権を握っているのだから、呆れて果てて滑稽にさえ見えてしまう。
八の字眉毛の首長は、今の日本が戦前の専制国家との継続性が断絶していることに憤懣を長いこと体内に育ててきたようである。この御仁は、普通の戦後教育を受けたのではなく、自らの血族の独自教育を受けたようなひ弱さと粗暴さが混在し同居している。アメリカの占領軍が造った憲法であっても、これほど民主的に優れた憲法は他にないと思っている。それが現実であるが、拙くても、劣っていても、ともかく自分で作りたいという自我の強い御仁なのかな。
理屈を解せない、解しない異能で異様な人間たちにとっては、憲法の規定がこれほどに無力であったとは、想像をしていなかった。現憲法によって、かつての戦争主義、専制政治を排除し、国民主権の平和国家への方向を実効的に担保できると考えて来た普通の日本人の法的な理論認識は、多数決という政治技術的方法論の前に簡単に打ち砕かれてしまった。憲法に違反した法でも、国会で多数の者が支持すれば、それは適法な法だという、無茶苦茶な論理だ。結局、法による牽制は、一定の常識と知識を有する者たちだけの甘い共通幻想でしかなかった。
戦後70年の平和憲法に平然と泥を塗った国会では、浅ましい個々の自己保存欲求のために、政治生命を賭した反対者が一人も出なかった全体主義政党の一糸乱れぬ統制ぶりが、これからの日本の行く末を暗示していないだろうか。