「ヨ!大統領」ではないが、幕末に、高杉晋作は徳川家茂の行列を見て「ヨ!征夷大将軍」と声を掛けたとか、掛けてなかったとか。仮に声を掛けたとして、そのことが、実は大変なことだと、自分が理解するのにかなりの時間を要した。我々が学校で習った歴史の用語というのは、当時全く普及していなかったのだ。誰も天下の将軍職が天皇から与えられた官職だと知ってはならない、言葉を発してはならない禁止用語だったはずである。それを、尊皇攘夷論者の高杉は言ったというのだ。それこそが徳川封建時代の終焉の兆であった。
この江戸時代を見る時に、将軍は朝廷の官職である征夷大将軍でしか過ぎないこと、そして、政治を委任された「幕府」の長であること、しかし、その当時に生きていたならば、たとえそれを知っていたとしても、何一つ口外できるような社会ではなかった、と言うことを、過去の歴史の中に見なければならない。誰も、表立って、「幕府」などとは言ってないのだ。「幕府」と云い始めたのは、幕末の尊王思想がある程度志士間に行きわたり、徳川幕府が朝廷・天皇の下部機関であることを示すことから、揶揄を含んでそれを云い始めたのである。その時、庶民はというと、「御公儀」とか、ただ「お上」、とか言っていたのだろう。徳川宗家が居並ぶ三百諸侯の中でとび抜けて肥大化した大名であること、決して権現様の生まれ変わりでなく単なる徳川宗家であること、それを広く世に知らしめる運動が尊王攘夷運動でもあった訳である。
我々は、歴史を通して過去を振り変える時、後の世に便宜上定義した言葉を安易に手掛かりとして、歴史の物事を覗いていないだろうか。ふと、この不確かな高杉のヤジに歴史の大きな意味があった、と考えたい。