終戦後の回想では、軍人や政治家はそのほとんどが、あの戦争は「止むを得なかった」「不可避だった」「逆切れだった」という感想が多い。
歴史家の保坂正康は「『この戦争は始めなければならなかった』。遅かれ、早かれ軍の爆発が起こっていた筈だ。他に選択肢がなかったのだから、今で云う”逆ギレ”のようなものだろう…どう収めるかを全く考えていない。…お粗末というしかなかった。」と結論付けるが、果たしてそうなのだろうか。
そういう見解に対して、戦時中に実際に暮らした清沢洌の日記の「日本の国民は何も知らされていない、何故に戦争になったか、戦争で損害はいくらか、死傷はいくらか、総合に知っている者は誰も無し。」の一節を思い出す。
【引用文献:保坂正康『あの戦争は何だったのか』新潮社新書・清沢冽『暗黒日記』岩波文庫】
実際に戦争中の、しかも沖縄に米軍が上陸した後に首相になり、たった四カ月間務めて約四年間の戦争を終わらせた、鈴木貫太郎は一年後の八月に次のように言っている。
「誇大妄想から現実へ」
日清、日露の両戦役以来、日本人は大陸政策といふものを唱へ、血に依って贖った特殊権益とか、大陸には一切の資源があるやうな妄想にとりつかれて了つた。その大陸を手に入れる為には一切の没道義なことも平然と行ひ、大陸さえ手に入れれば世界を相手に戦争ができるやうな誇大妄想的な考え方に転落していった。さういう空気は明治末期から、大正、昭和を通じて、満州事変勃発頃には頂点に達し、この気持ちはさらに拡大し、隣邦支那を侮視し東洋の盟主といふことを自ら唱へるやうになった。…国家的物欲が昂じて、遂に魔がさしたとでも言はうか、世界を相手にするとんでもない戦争を始めてしまった。これは国家の宿命だったのかもしれない。これを事前に止めるなどと言ふ事はどんな政治家が出ても不可能だったかもしれない。
私が大切だと思う処をほぼ引用させてもらった。ほんとに薄い本であったが、先人の貴重な言葉が聞けたと思っている。