むかし「いちご白書をもう一度」(1975年)という歌を聞いたときに、日本の歌なのに何故だか『いちご白書』(1968年)という米映画の学生たちが講堂で排除されるラストシーンが浮かんで来る。
当時、荒井由実という人は一年先が見える人間だった。彼女は結婚して松任谷由実になったが、母親にはならず、記憶に残る歌をたくさん産んだ。
あの七〇年安保のロックアウトの壁の先に立っていたゲバ棒の学生たちは、はたして『資本論』を読んでいたのだろうか。
いまだに、その疑問がポッと出てくる。
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