玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

木戸幸一の日記 ―7―

2021-12-09 19:20:51 | 近現代史

偶々、原田日記(『西園寺公と政局』)を読むと、木戸日記と重複することがよくある。

満州事変が起きた時に、木戸が「首相がこれが解決に付き所謂他力本願なるは面白からず、内閣は宜しく幾度にても亦何日にても閣議を反復開催して国論の統一に務め、内閣自身確乎たる決心を示す外なし」と謂う。

その席には一木喜徳郎宮相、鈴木貫太郎侍従長も同席している。つまり、木戸は、宮中のお偉方を前に、若槻禮次郎が軍部に弱腰で宮中を当てにしていると憤慨しているのである。

この時、木戸は内大臣府秘書官長だった。面倒なことは関知しない官僚的な対処である。

原田は若槻首相が困っていることを西園寺公爵に報告する途中で、宮中にも必要な情報だと、念のために木戸とお偉方の前で話したのである。

原田は「御裁可なしで軍隊を動かすのは一種のクーデターであって誠に容易ならん悪例を残すものだと思うから、ご参考にまでに話したまでである」と謂う。そこでやっと、聞いていた鈴木侍従長が「御裁可なしに軍隊を動かすことはけしからん」と怒ったということで、要するに事の重大さを認識したわけである。

同じ日の同じ事の受け取り、記録の仕方なのだが、片方は手柄のように若槻内閣を非難し、片方は裁可なしで軍隊を動かすのは一種のクーデターだという国家の危険と捉える。

満州事変は確かにその後の日本の軍部政治の予兆であった。

私は、これまでずっと「木戸日記」に全幅の信頼を置いてきたが、近頃は、その信用も段々怪しくなってきた。その一方で、原田熊雄という男の奔放で明瞭な性格が段々好きになってきた。

 

【引用文献:『木戸幸一日記(上)』東大出版会100頁、『西園寺公と政局』第2巻岩波書店65頁】

原田熊雄と西園寺公

 


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