今年に入って、松本清張の『昭和史発掘』を読んでいる。退職後に買い集めてほぼ1~9巻まで揃えたが、昭和史全般ではなく、二・二六事件が殆どであることを知った。(実際は5巻~9巻まで)
だが、清張が何故二・二六事件に拘泥したのか、近頃気になってきたのだ。
先日、参考図書として高橋正衛『二・二六事件』を読み終えた。
以前に読んだとき、根拠や切り口がしっくりこないので、文献資料としては外していた。
今回読み返して気が付いたこともあった。まず二・二六事件はこの老いぼれ軍人たちの狂騒曲が一因であった。
真崎甚三郎、荒木貞夫、この二人は陸軍大将となり、荒木は陸軍大臣、真崎は参謀本部次長、教育総監を勤め、これ以上に何の望みがあるのだろうか。彼らが皇道派の頭領でもあった。
皇道派と言っても、実体は鍋島藩、土佐藩系統の藩閥であり、サーベル替わりに日本刀を推奨した時代遅れの軍人たちであった。
荒木は陸軍大臣時代は人事が好きで、人事案に赤鉛筆で訂正するのが無上の喜びであったそうだ。
当時は命を懸ける戦場はなく、三宅坂の三官衙が戦場である軍人の官僚(幕僚)の典型であった。
ふと人事で矜持を引っ込める、今の霞が関の東大官僚、とくに税金逃れ議員を許す財務官僚を思い出す。
戦前で云えば、差し詰め陸軍大学校を出たエリート幕僚だ。しかも超エリートは陸軍幼年学校を出ている。今の開成や灘かな。変な風に似ているのが恐い。【次へ】
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