また、東京にオリンピックが来る。あと7年間の目標ができたような気がする。案外うれしい。しかし、世界にはこれを喜んでいるものばかりではない。今後、関係のこじれている隣国の二国はどういう反応になるのだろうか。
韓国は「恨の国」だという。日本は怨も恨もほぼ同じ意味だが、韓国はこの二つは区別されていて、恨は自分の内部に沈殿していく情の塊であり、怨は憤怒であり、熱ぽく、復讐で晴れるが、恨は冷たく、解くことができないという。(日経新聞2012・9・16版「恨の5百年」より引用)しかし、最近の韓国の反応を見てみると、どうもその区別は私には説得性がない。
かつて、西郷隆盛らが下野した「征韓論」というのがあった。その原因は明治政府が「王政復古」を朝鮮王朝に通知をしたときに、その国書の受け取りを拒否した。その理由は、中国しか使ってはならない「皇」の文字が使われていたからだという。彼らは自国と中国との冊封関係で、「王」に安住し、それに属していない日本(つまり、倭という夷国)を常に下に見ていたではないか。不思議に、今の韓国の中国へのすり寄り方が、いかにも自然で、慣れているように見える。
当時、日本は確かに朝鮮半島への領土欲求があったと思うが、反面、欧米列国へのコンプレックスに苦しんでいた。日本は隣国からの蔑視扱いに激怒して征韓論が生まれたとも言われている。その後、日本は朝鮮併合、満州国建国、日支戦争と膨張を続け、太平洋戦争によって敗戦をした。彼らは、日本が敗戦後に自分たち以下の劣等な国になることを望んでいたのではないか。ところが、朝鮮戦争が契機となって、日本経済は目覚ましい発展を遂げてしまった。そこに、日本への二重の怨恨が生まれたのではないか。 ソウルの路地裏
戦後、李承晩ラインによって、竹島が実行支配された。平和憲法で動けない日本の屈従や苦しみを見て、そこに日本に対する優越感を感じたのではないか。その快感を国の礎の証として、竹島や従軍慰安婦問題などを固守している怨恨の国としか、現在は見ることができない。
オリンピック招致という日本の幸運に対して、今後隣国としてどう行動するのかによって、韓国の真意を知ることができるだろう。韓国が実は信頼のできる大人の国であり、今の自分の考えが間違っていることを願う。 韓国の国立博物館の仏像
明治時代の田山花袋が、『東京の三十年」という回想の中にこんなこと書いています。『こうして時は移っていく。あらゆる人物も、あらゆる事業も、あらゆる悲劇も、すべてそのなかへと一つ一つ永久に消えていってしまうのである。そして新しい時代と新しい人間とが、同じ地上を自分一人の生活のような顔をして歩いていくのである。五十年後は?百年後は?』
小生は、これが良く分かるような気がしてなりません。過去と違う次の時代を考える、これが半島の政治家が良く使う『未来志向』ではないか、と思います。反省をしないという不安材料も有りますが、大陸と半島の人々は、紀元前以来から一度たりとも切れる事のない、連続性しか頭に浮かばないのかもしれません。
足を踏まれた痛みは踏んだ人には分からないのは当たり前ですが、非人道的な原爆を二度も落とされた怒りと事実とを全面的な講和や、米国との「ともだち」関係に転化した我が同胞の方が、ハッピーな生活をおくれるような気がしてなりません。