―日米戦争の発端や原因―
たとえ米国に追い詰められて、仕掛けられた戦争だったとしても、日本には戦争の目的が無ければならない。それが世界で理解を得る理由・目的であれば、「大義」となるのであろう。
入江隆則は1936年生まれだから、開戦時は5歳、いわゆる国民学校世代である。従って実体験はないが、彼は大学での研究から「日本とアメリカがアジアの覇権を争うようになったのは日露戦争直後である。」と日米の戦争経緯を言う。
1926年生まれ、士官学校生で終戦を迎え、戦後軍事評論家になった(入江より10年年長の)三根生久大は「アメリカは、日露戦争後、日本をターゲットとして営々と戦略を練って来た」と書いている。
それなら日本はどうだったのか?という疑問が出てくる。日本は1941年7月に南仏印〈仏領インドシナ〉進駐により米国から資産凍結、石油等の禁輸を受けて絶対的な窮地に追い込まれていた。
9月5日の御前会議に「米英蘭との戦争を辞せざる…」と追い込まれ、11月には戦争決意の「帝国国策遂行要領」が決定され、そのあとに戦争終結の決め手を「米国の継戦意志喪失に」に求めようとした。
要するに「武力による屈服」を予定していないのである。日本は抑々が「勝てると思っていない」戦争に突入したことになる。
近頃、世襲政治の弊害のニュースが流れているが、これも1996年の小選挙区選挙制度に起因すると言われているのであるから、日米戦争を観るには35年前の日露戦争を観なければなるまい。
【参考文献:入江隆則『敗者の戦後』中公叢書、三根生久大『日本の敗北』徳間書店、参謀本部編『杉山メモ(下)』原書房】
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