朝目が覚めた時、今日はえらく寒いと思った。中々布団から出れない。
ふと、日本国憲法の前文「日本国民は正当に選挙された~ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。…」を枕元から取り出して読んだ。
身体を起こして、傍の机に在る佐藤卓己の「八月十五日の神話」を取り出して、小さな文字の8・15詔書をLEDを明るくして読んだ。「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、…ここに忠良なる爾臣民に告ぐ…」とある。
文章の冒頭とは、その文の方向・所在を暗示させる。大きく時代が変わったことが、此の冒頭の文章でよく分る。
もう一度、憲法前文に戻ると、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように…」とある。ここで「政府」とあるがゆえに、国民には罪がないかのように思わせる。
しかし、この前文は非常に理想的な民主政治体制を言っているが、全体のトーンが謝罪文か反省文の感じがするのが否めない。そこが安倍晋三が吐き気がするくらい厭な処なのだろうが、そんな人のことはどうでも良い。
しかし本来感じるべき、その謝罪の気持ちを希薄化させてしまったのは、いったい誰なのであろうか。正当に選挙された国会における代表者たちかもしれないし、彼らを選んだ国民でもある。
こういう面倒くさい事を朝から想うこと自体、コロナの影響なのか、自らの玄冬期なのか、その両方かもしれない。
湘南の山側の公園から
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