『木戸日記』と『原田日記(「西園寺公と政局」)』は近現代史の中で最も基本的な史料と言えるだろう。
しかし、『木戸日記』は木戸自身を戦犯から遁れる為に極東裁判に提出された資料であった。
木戸は戦犯に指定された時に、すぐさま、東條内閣を推挽したことを一番の問題行為として息子に告げている。
客観的に見て、彼の内大臣の仕事として、最も大きな決断をしたのが、東条内閣を誕生させたことであろう。
木戸の姪の婿が都留重人であり、彼は米国帰りであり、戦後のGHQに友人がいた。
彼の言葉に従って、「自らが無罪なら天皇も無罪である」という論理のもとに極東裁判に『木戸日記』を提出したそうである。
【粟屋憲太郎『東京裁判への道』講談社学術文庫より】
結果として、改竄されたようで、東條内閣の重臣会議の内容や彼の本当の意図は、『木戸日記』は教えてくれないようである。
結局「近現代史」は解らないことだらけである…。(次週へ)
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