―第一次世界大戦の時の日本の動き―
士官学校卒の三根生久大、国民学校卒入江隆則は、米国は日露戦争勝利後の時から日本の打倒を決めていた、と言う。日米戦争開戦と終戦の外相だった東郷茂徳は米国の中国門戸開放は戦争も辞さない覚悟だという底意があった、と戦後になって回想した。
それなら、まず、第一次世界大戦野時の日本は欧米とどのような対応をしたのだろうか。
1914年8月7日、英国は同盟国の日本にドイツの巡洋船の捜索・撃破を要請した。8月15日、日本はドイツに膠州湾租借地の交付を要求する最後通牒をし、8月23日対独宣戦を布告した。そして、10月14日には赤道以北のドイツ領諸島を占領した。また11月7日には英国と連合し、ドイツの極東の拠点である膠州湾と青島及び山東鉄道を制圧した。
11月4日英国は欧州への派兵を要請したが、日本は、欧州への派兵は不可能と拒否した。
1917年に聯合国は再度日本に派兵をまた要請したが、日本は又拒否した。
どうも日本の真意は東亜で利権を獲得するところにあったようだ。連合国側はこの時に日本に対する批判、反感を持った、と言われている。
【引用文献:三根生久大『陸軍参謀』文芸春秋、入江隆則『敗者の戦後』中公叢書、黒野耐『参謀本部と陸軍大学校』講談社現代新書】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます