かつて捕縛されそうになった首相や元首相は多い。その中で田中角栄は別格だ。本当に現実に逮捕され、牢獄に入ったから。
その背後には、ニクソンの制止を振り切り中国との接近を図った自主外交路線を封殺するアメリカの指示があったとの孫崎亨の推理がある。それ以来、日本の外交は腑抜けになり、アメリカの御機嫌や顔色ばかりを窺うようになったとも。
戦後すぐには、こうしたことはよく起こった。1948年芦田均内閣の僅か7か月内閣、1956年の石橋湛山内閣の僅か2か月の短命内閣などにその典型例を見る。この間をつないだのが吉田茂内閣であった。
吉田は1951年のサンフランシスコ講和条約を結ぶ一方で、この時現地には野党議員も同行したのに、日米安保条約を隠れるようにたった一人で調印した。謂わば、この条約は地位協定まで含めれば米国の永久占領を認めたことになる。吉田は米国への功労者であった。吉田には国葬らしきモノが用意された。
逆説的に考えれば、今回も国葬儀というモノが行われた。しかも非業の死から僅か6日という短さであのグダグダのキシダが即断をした。
世上では麻生が「理屈じゃないんだ!」と恫喝したと云う。果たして、それだけだろうか?
この国葬儀なるモノの決断に至る6日間にブリンケン国務長官が来日したのではないか。軍備の強化を誓わされたと思うが、宗主国様からは他に指示があったのかもしれない。米国の功労者として丁重に扱えとの指示があったかもしれない。
推理ならぬ陰謀と言われるかもしれないが!!しかし、陰謀とは意図する方向へ導くことだが、これは単なる状況からの想像と思っている。
【参考文献:孫崎亨『戦後史の正体』、石川真澄『戦後政治史』、豊下楢彦『安保条約の成立』】
近頃は畑で電気もつくるらしい。
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