今までずっと気になっていた東北の被災地に行ってきた。重い3泊4日であった。東北自動車道で仙台に行き、その後は国道45号線で南三陸町、気仙沼、陸前高田、釜石、宮古と被災地を回った。ずっと雨で薄寒い気候だった。
道中、まだ修繕されていない橋やひっくり返った住宅もあった。山間にはひっそりと仮設住宅があり、海に出ると、そこは「ただ何もない」ということだった。人の気配が無い、ともかく町が無く、有るのはうず高く積まれた土の山だった。陸前高田は12メートル嵩上げして区画整理事業を行っていると現地の新聞に出ていた。山間から海が見える港に出る時、津波の高さを表示したポールが現れる。ここまで津波が来たのかと驚かされた。人間の力を超えたどうにもできない水の高さであった。その水位から逃れる高さが12メートルなのかと理解した。地震・津波から3年半、ともかく道路はトラックが多い。復興景気は土を嵩上げする土木事業ばかりのようだ。人がいない、戻っていない、これから土を嵩上げし、元の場所に戻り、また依然と同じように暮らしたい。その気持ちはよくわかる。しかし、そこに人が住み、暮らすためには、まず産業があって、雇用が無ければならないだろう。ところがその見込みがつかない。今は、復興事業の土木関係労働者のための宿泊施設、コンビニや飲み屋は細々と営業しているようだが、他はどうもうまく行っていないようだ。
釜石で一泊したが、最近開店したというイオンが妙に寂しい。雨かも知れないが夕飯時に客がいない。5時に飲み屋に行っても、5時半からだと簡単に断られてしまう。心は全く立ち上がっていない、と感じた。地元の人も言っていた。「ここの店は土、日休んでしまう」と。
今回の旅で復興の難しさをつくづく感じさせられた。復興はほど遠く、当面は復行に過ぎないが、それでもいい。
しかし、あれからさらに歳月が流れ、2011年がなくとも岐路を迎えていた可能性の高い地域は、大きな自然=マクロの合理性が抗い難い形で人々を離散させようとしている。土木工事は何のためかは、それなりに理解されている。昔、車が通らないのに道を作って国富を浪費したのに、復興支援という御旗が立てば、省庁も何でもアリの予算となる。1000兆円があっという間に過ぎてもう誰も財政再建を言わなくなった中央政治。メディアの偽善と不均衡になるぐらい肥大化した政治の偽善。私たちは残された時間をどう活かし、次の世代につなごうというんだろうか。答えのないまま今年も暮れようとしている。
あの場所は、今では津波でメチャクチャにされてしまっただろうと思います。
小渕さんが辞めた問題を論議することが優先なのか、復興と国の発展を議論することが優先なのか。
どちらも大切なのですが、両親の出身が近いこともありますが、東北の過疎の話を聞くと、どこかやるせなくなります。