何故、銀座でモボ・モガが闊歩した平和そのものの大正ロマンから、昭和になると一転して、三宅坂の石畳に軍靴の音が響く軍事国家になったのか。歴史を見る上でずっと不思議に思っていたことだ。その違いは、日本人の中に旧人類と新人類が同居しているような違和感を覚えたり、あるいは民族が異なるような錯覚さえ感じたものだ。その要因の一つに、大正天皇と昭和天皇の差があるのではないかと考えていた。それは、病弱と健常の差でもあった。病弱の王の時代の臣民は至って自由で活発であり、健常の王の時代の臣民は不自由で従順であることを求められた。あたりまえの話だが、それを腑に落ちないと考えるのか、君主制とは、抑もそういうものなのかと割り切るものなのか。
そうした現象を、「大正天皇の弱さが大正デモクラシーの台頭を促したのに対し、昭和天皇の即位はその終焉をもたらし、祭政一致の宗教的理想を再生させた」とハーバート・ビックスは言う。外人なるが故に、単刀直入である。その強い祭政一致の君主制を、誰が利用したのか、誰が黙認したのか、これを解き明かさないと、本来の歴史認識はできない。また、それをしなければ、現憲法の改正など踏み出すべきではないと思う。
上手い比較にはなりませんが、戦後長らく、海の向こうのある国が病弱な時、周囲はどことなく安定していたけど、その国が元気になると、周りが不安定になり、近所迷惑が多くなる、ようなものでしょうか。