日曜ドラマの『半沢直樹』は、先週の視聴率は27.6%でスポーツやNHKドラマを抜いて、ぶっちぎりのトップである。何故だ?半沢直樹は中高年層の現代版水戸黄門のようである。最後の決め台詞は「倍返しだ」で終わる。水戸黄門の印籠である。どんなに主人公がもがき苦しんでも、最後は勝つことがみんな分かっているから安心して見れる。そして、サラリーマン組織で一度でも上司に逆らったら、潔く辞表を書いて辞めるか、仮に辞めなかったら一生下積みである。これが一般的な現実である。半沢の上司に対しての反論という勧善懲悪の行動や「倍返し」という見栄には、サラリーマンの夢があるんだ。このドラマは長い間テレビから離れていた中高年層の心をつかんだ。それが視聴率に反映したと思っている。
これに比べ、翌日の月曜日に放映される『名もなき毒』は、特殊な人の生き方をあくまでもドラマの中だけの生き方として提示をしているが、そこには特殊性から一般性への跳躍がない。主人公の母親が「どんなに弱い人間でも、相手の弱みや本質をズバリと射抜く言葉を発するものだ」というフレーズを提示するが、原作者や製作者にはそのフレーズに一般性があると思っているようだが、私は一般化する要素はないと思う。日常の中で優位に立つ人間、あるいは圧迫する人間が居たとして、その人間がギャフンと参るような事実を知ったとしても、虐められる側の劣位の人間たちのどれだけの人がそれを口に出して言えるだろうか。原作者の原体験なのか、それを支持する製作者側の稚拙な社会観の捉え方なのか、それなりの低い視聴率には納得をする。しかし、『名もなき毒』も同じ局なのである。結局、何にもわかっちゃないんだな。
かつて、テレビはその時代を席巻する言葉を提案していた。がむしゃらな働き詰のウァーク・ホーリックの日本において、「ゆっくり行こうぜ、俺たちは」という広告のフレーズは、高名な思想家の言葉よりも若者の心を捉えた。『木枯し紋次郎』は「あっしには関わりのないことで…」と言いながら、結局関わってしまう、日陰者の弱さと優しさを提示した。
先日の『27時間テレビ』、あれはいったい何なのだろうか。27時間のお笑いバラエティー攻撃だった。お笑いで、この世の中がアハハ、アハハと過ぎていくのなら良いのだが、どこかで現実に向き合わなければならないのが世の中というもの。あの長大な27時間は、「マスコミは公器である」という看板を自ら降ろし、実は視聴率を高くして、スポンサーから金をもらうのを目的とする広告媒体会社です、と恥ずかしげもなく居直っていた。