玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

新聞社は不況業種か

2019-05-08 21:47:53 | 雑感

近年、新聞各紙は客観報道という自民党A政権の罠にはまって、権力や周りの出方ばかり気にして、独自の大胆な行動がとれていない。

また、政府を監視・批判するというジャーナリズムの本来の役目を忘れて、相手側が用意した記者クラブという制度の中で、与えられた規格品の情報を得て、それを右だか左だか分からないが、適当に味付けして記事を書いているだけであろう。

自ら、足を使った記事などほとんど目にしない。果ては、各社の差が出ないように、記者同士の談合に足をとられて身動きができない。とくにくだらないことは、記事にしないという暗黙の無視協定まで結んでいるように見える。

新聞社も所詮は企業、一般の企業のように人気商品を作って、その注目度によって、広告料と販売売り上げを稼ぐことに躍起になっている。

かつてマスコミが作った人気商品は、田中角栄や石原慎太郎かも知れないが、近年、マスコミが作ろうとした商品は、そのまんま東や橋下徹、今では名前すら忘れたが、野望の党の女性知事、少し時間が経過して、彼らをよく見てみると、彼らは単なるタレントで、お笑いタレントの政治版でしかなかった。

良い商品が作れなければ、結局不況業種だね。だからか、消費税対象から逃れたいと、また政権に揉み手をする。これじゃ、どうしようもない悪循環である。

高札場

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政治屋はいらない

2019-05-02 15:34:13 | 政治

あたらしい元号の年は、政治の場では、憲法に基づく法律がなくなり、官邸や内閣が主導する政令ばかりの世になるのであろうか。安倍官邸は、による形だけのをめざしたのかも。

ただし、戦後最悪のどん詰まりの政治状況である。何もこの国の将来像を考えない、自らの地位を守ることしか考えない、官邸を担いだ政治屋たちの群れがこの國土を支配している。

まず、自民党は、かつての55年体制下の政党ではない。過去への理性的な価値判断もなく、いわゆる無分別で、自己都合の歴史観しか持たない、無教養を恥ずかしいとも思わず、唯情念や趣向で國家方向を選択しているように見える。

実は自分の親や祖父たちは、たいして良い思いもしていなかったのに、良い国体(國家体制)であったと勝手な幻想を持って、アンシャン・レジュームへの回帰することしか考えていないようである。亜流の自民党がこの国を衰退させて行く。

一方、立憲民主党などの保守系野党は、与党議員の素行やスキヤンダルといった人格的な落ち度や記憶力や常識力といった能力的な欠如しか(実は自分と同程度なのだが)追求できない政治観の欠如した政党の群れとなってしまいました。

加えて、社会主義の劣化により、政治の位置・立場を革新から保守に軸足を移し、他方与党は、改革という言葉で攪乱するので、与野党の対立軸を造れなくなり、本来政治的な意見を闘わせる場所である国会の地位そのものが凋落した。

所詮、与党・野党議員ともに、政治を食い扶持に、食い物にする政治屋家業の人々ばかりになってしまった。彼らは、たいした仕事もしていないのに、自己満足の名誉と、議員の待遇と給与ばかりを求める卑しい人々の群れに見えてしまう。

かつて、何となく面白い政治家が居たものだ。ジョークや愛嬌がどことなくあって、何となく周囲が和んでしまう。そういう人間的な政治家ですら、今は居なくなってしまった。

あの戦前からの、古めかしい歴史的建造物である国会議事堂には、この新しい令和の時代に一体どんな人間たちが巣食って居るのであろうか。

当分、トンネルの中

 

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