あたらしい元号の年は、政治の場では、憲法に基づく法律がなくなり、官邸や内閣が主導する政令ばかりの世になるのであろうか。安倍官邸は、令による形だけの和をめざしたのかも。
ただし、戦後最悪のどん詰まりの政治状況である。何もこの国の将来像を考えない、自らの地位を守ることしか考えない、官邸を担いだ政治屋たちの群れがこの國土を支配している。
まず、自民党は、かつての55年体制下の政党ではない。過去への理性的な価値判断もなく、いわゆる無分別で、自己都合の歴史観しか持たない、無教養を恥ずかしいとも思わず、唯情念や趣向で國家方向を選択しているように見える。
実は自分の親や祖父たちは、たいして良い思いもしていなかったのに、良い国体(國家体制)であったと勝手な幻想を持って、アンシャン・レジュームへの回帰することしか考えていないようである。亜流の自民党がこの国を衰退させて行く。
一方、立憲民主党などの保守系野党は、与党議員の素行やスキヤンダルといった人格的な落ち度や記憶力や常識力といった能力的な欠如しか(実は自分と同程度なのだが)追求できない政治観の欠如した政党の群れとなってしまいました。
加えて、社会主義の劣化により、政治の位置・立場を革新から保守に軸足を移し、他方与党は、改革という言葉で攪乱するので、与野党の対立軸を造れなくなり、本来政治的な意見を闘わせる場所である国会の地位そのものが凋落した。
所詮、与党・野党議員ともに、政治を食い扶持に、食い物にする政治屋家業の人々ばかりになってしまった。彼らは、たいした仕事もしていないのに、自己満足の名誉と、議員の待遇と給与ばかりを求める卑しい人々の群れに見えてしまう。
かつて、何となく面白い政治家が居たものだ。ジョークや愛嬌がどことなくあって、何となく周囲が和んでしまう。そういう人間的な政治家ですら、今は居なくなってしまった。
あの戦前からの、古めかしい歴史的建造物である国会議事堂には、この新しい令和の時代に一体どんな人間たちが巣食って居るのであろうか。
当分、トンネルの中